市民社会をつくるボランタリーフォーラムTOKYO 2020

難病の制度と支援の谷間を考える会

難病や内部障害、疾病等の当事者からなるグループである「難病の制度と支援の谷間を考える会」代表の白井誠一朗さんにお話をうかがいました。


はじまりの物語 ~当事者性の違いを超えた共通点~

私は、指定難病である先天性ミオパチー*をもって生まれました。この病気は早い段階から訓練をすると運動機能が保たれる場合もあるので、私も中学までは他の子どもと同じような生活を送れていたのですが、中学3年生の時、病気が進行した結果、呼吸不全や心不全を起こしました。呼吸の力が弱まってしまうため気管切開をすることになり、日中は呼吸器を使わずに生活して、夜寝るときには切開したところから呼吸器を使う生活になったのが、15~16歳の時です。短い距離しか歩けなくなり、外出時に車いすを使うようになりました。移動の範囲が限られるようになったため、近所の大学へ進学し、「福祉制度を知っていれば、自分にとってプラスになる」という気持ちで社会福祉学科を選びました。ちょうど介護保険と障害者制度の統合について盛んに議論されていた時期で、DPI(認定NPO法人ディーピーアイ日本会議)や、JIL(全国自立生活センター協議会)などの「当事者団体」が様々な発信をしていました。そういう動きを学ぶことで、日本の障害者制度は当事者活動と国などのいろんなやり取りの中で作られてきたのだと知りました。

大学卒業後、なんとなく内部障害や難病の人たちのおしゃべり会に参加しました。そこで障害や疾病の種類は違っても、ニーズというか、困りごとが私と一緒であることに気づきました。「疲れやすい」けれど「歩けているから(障害が)重く見られない」、「でも本当は結構大変」など。また、頚椎損傷の方が「私は見た目で障害があることはわかるけど、頚椎損傷のために体温調整がうまくできない。これは外からは見えない辛さだ」と語るわけです。そういう辛さや困りごとを共有できたことで、自分とは違う当事者性を持つ人とも共通することがあると知り、幅広い人たちとつながれる可能性を感じました。


支援の谷間という視点

ちょうど障害者制度改革推進会議 の総合福祉部会で障害者自立支援法にかわる新法制定に向けた検討がされていたころ、私は大学院生でした。制度の谷間の問題がどうなるのかと関心があり、傍聴にも行きました。検討会では「骨格提言」という画期的な提言がまとめられましたが、結果的には障害者総合支援法でこれまでの身体・知的・精神に加えて新たに難病等が法の対象となり、病名列挙による限定的な対象規定にとどまることになりました。その過程で「そもそも病名の問題ではなく生活の問題なんだ」という課題意識がありました。難病というととかく病名や医療の課題が全面に出がちですが、まずは難病の人たちの生活上の課題やそこから生じる制度の問題について一緒に勉強しようということで勉強会を開いたり、院内集会を開催したりしたのが「難病の制度と支援の谷間を考える会」の最初です。「谷間」についてですが、今はある程度制度が整ってきて支援や制度がある人たちも一定数いて、一方で何も制度がないという人も(以前より減ってはいますが)相変わらずいる状況です。ですが、問題意識の根本は、病名ではなく生活の困りごととして捉える必要があるということなので、「支援の谷間」という視点をもって活動していく必要があるのではないかと思っています。それで、会の名前を「難病の制度と支援の谷間を考える会」としました。2012年のことです。

総合支援法の課題の他、難病法制定の際にも、さまざまな働きかけをしてきましたが、情勢対応に追われ、組織としての十分な基盤がないまま活動を進めるのには限界がありました。話し合いの結果、私たちは「しばらく運動はやめよう」と決めました。基盤となる当事者のつながりづくりをしていく取り組みにシフトしたということです。今も患者会はたくさんありますが、そこでは自分たちの病気の話が中心です。それも大事なのですが、病名を超えて互いの生活上の課題を話せる場が少ないのが問題だと思っています。また、多くの患者会では高齢化も進んでいて、若い患者さんは大先輩のアドバイスを聞くだけになってしまいがちです。頑張って「職場で大変なんです」と話しても、「いや、きみ、就職できてるだけいいよ。僕らの頃はねえ…」みたいに言われてしまうといった具合です。患者同士の集まりは、本来なら共感してもらえる場であってほしいのですが。一見、一般就労していて問題がなさそうに見えるかもしれない人たちも、ある意味、孤立しています。しんどさが周りに理解されない、近くに仲間がいないという社会的孤立です。そういう人たちの居場所をつくりたいと思い、カフェのような感じで場づくりをやってみることになりました。


カフェの雰囲気にこだわって

2017年から取り組みを始めた「難病カフェ」は、開催時間を「営業時間」として、場所を提供する感覚でやっています。出入り自由で、特別な企画はせず、お客さん同士で話してもいいし、お茶を飲むだけでもいいというやり方です。状況によっては運営側がフォローすることもありますが、基本的なスタンスとしては、来た人たちに自由にその場を活用してほしいと思っています。

難病カフェは、疲れた羽を癒せるような場所にしたくて、「とまりぎ」という名前にしました。最初の頃は、大学の教室や公的施設でやっていましたが、最近は一般のカフェをレンタルしています。費用負担は大きいですが、場所のもつ力が難病カフェの雰囲気を大きく左右することに驚きました。会議室だと、放っておくと全然話しが始まらないのですが、普通のカフェでやるとお客さん同士が勝手に盛り上がってくれますし、集客もいいです。


ネットワークで新しい活動を支える

活動を広げていくという意味で、東京で開催すれば、いろんな所からいろんな人が来て、それぞれが地元に戻って地域に難病カフェが広まる可能性があると思っています。

しかし「自分も難病カフェを始めたい」という相談を受けたとき「僕らの場合は…」という自分たちの経験は話せますが、それだけになってしまいます。活動を始める方が最初に困るのは、場所探し、その次に仲間集めです。カフェの数だけ「こうやった」という経験があるので、それを共有できれば難病カフェ立ち上げの「ノウハウ」が蓄積されていくと思いました。また、参加者を含めた運営の共通ルールを考えることや、いざという時に相談できるつながりづくりなども悩みの種でした。そうしたこともあって昨年から、難病カフェのネットワーク化に取り組んでいます。いま「難病カフェ」の名称で開催されている活動の形態や中身は様々で、共通の基盤があるわけではありません。このネットワークでは「難病カフェとは何なのか」ということを含め、難病カフェが「大事にすること」や「外せないポイント」を見出していきたいと思っています。一人ひとりの「やってみよう」を促進できるネットワークを目指しています。


* 筋組織の不全により筋力低下や運動発達の遅れなどの症状がでる。


難病の制度と支援の谷間を考える会

https://www.facebook.com/tanima.nanbyocafetomarigi/

https://twitter.com/tanima_net

2012年に難病の福祉問題を理解するための勉強会としてスタート。病気や障害の違いにかかわらず支援を必要とする人が排除されず、必要な支援を受けながら社会参加できる社会を目指して活動している。難病にかかわる制度・政策に関する学習会や交流会の他、不定期で「難病カフェ」を開催するとともに、当事者や団体のネットワークづくりにも取り組んでいる。


キーワード難病/内部障害/疾病/難病カフェ

メンバー 様々な難病や疾病、内部障害等の当事者

活動内容 学習会およびシンポジウムの開催、難病カフェの開催、難病カフェ主催者のネットワークづくり等

活動エリア 東京

相談 あり

集まれる場 あり


*『ネットワーク』365号より(2020年4月発行)