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TVACの誕生

自治展望第27号(財団法人神奈川県市町村振興協会・平成8年3月29日発行)
『行政とボランティアとの関わりを考える』より

明治学院大学社会学部教授
山崎美貴子

はじめに

ボランティア活動と行政との関係についてどのような関わりが最も望ましいかの議論は古くて、新しい議論である。考えてみるとなんといっても譲ることが出来ない側面はボランティア活動の自主性、主体性の原則である。ボランティア活動は誰かに命令されたり、強制されたりして為される活動ではない。あくまでも、その活動の主体者としての自主性が奪われる事態があるならばボランティア活動そのものが変質し、価値の薄いものとなってしまうのである。
市民一人ひとりが個の尊厳に基づいた主体的な契機によって為される活動であることが生かされることが充分に考慮される事無く進められたとしたらどのような結果を発生させることになるのであろうか?
ボランティア活動は、現象的には、阪神・淡路大震災の際のボランティア活動に見られた通り、多くの若者達の関心と参加を得たところである。災害等の緊急事態が発生した際に行政のみの対応では限界があり、全国各地からかけつけたあるいは寄せられた物心両面の支援が如何に重要であるかが認識された。
しかし、そこに多くの課題がある事も顕在化された。各活動団体は法人格を得ることに様々な制約があり、団体としての社会的な認知が受けられない事や、税法上の恩典が得られないなどの為に活動事態が困難になったり、制約を受けたり、継続出来ないなどの困難な事態に直面していることが明らかになった。そうした背景から各自治体や政府に対して市民団体、活動団体は市民活動・ボランティア活動に関する支援のあり方についての提言や要請を展開し始めた。こうした状況下にあって、政府は18の省庁が一堂に会して市民参加に関する支援策についての検討が開始されたり、各政党から議員立法として立案されるなどの動きもみられている。更に、こうした現状を踏まえ、全国各地の自治体からボランティア活動を含む、市民参加に関する自治体等による社会的な支援策についての検討が進められ始めている。
そこで、本稿ではこうした状況を視座に入れつつ、市民の社会参加に関する自治体の支援のありかたについて検討することとしたい。
特に、筆者の視点は東京ボランティアセンターとの関わりが強いので、東京ボランティアセンターの誕生に至る経過において行政の果たした役割等に触れながら検討してゆくこととしたい。

東京ボランティアセンターの誕生にむけて

東京ボランティアセンターの前身である東京都ボランティアコーナーが設置されたのは昭和48年10月に東京都児童会館の一室にわずか17平方メートルと10人もはいれば一杯になるような小さなコーナーからのスタートであった。
東京都ボランティアコーナーという名称にあるとおり、東京都が直接ボランティア活動に関する事業に関わっていたのである。その端緒となったのは昭和46年6月、民間人であった縫田曄子氏が民生局長として就任されたことにあったと記されている。当時の心境を次のように述べている。
「ボランティアは自発的な活動である。従って、民間の自発的な活動であることが鉄則である。にもかかわらず私は、福祉行政を担当する責任者として、行政の中でボランティアの推進を唱えた。それは日本におけるボランティア活動の発展を期待する一市民としての願いがあったからに他ならない。」
当時、ボランティア活動の主役は子育てを通して地域の人々と関わりをもってきた女性達であった。母親として学校や地域の子供会活動等の実践、生活学校、公民館活動等から地域の実態に触れたりする機会も多くなり、女性達の様々な社会参加の形態が創出されはじめた時代であった。昭和40年代は女性の子育てからの開放期に向けて、社会と接触をもって、家庭以外に、何か社会的役割をもって生きてゆくことを求める女性の生き方を模索している時期でもあった。そうした女性達の実践力がボランティア活動を大きく発展させる原動力ともなっていった。現に東京におけるボランティア活動の中核となる団体はこの頃設立された団体である。
市民参加活動の中心であった消費者活動、リサイクル活動、無農薬野菜の共同購入活動等の目覚ましい実践が展開されていった。社会福祉の領域についていえば、昭和44年、東京都社会福祉審議会による意見具申「東京都におけるコミュニティケアの進展」に示された通り、福祉は一部の社会的弱者に限定されて、特定の対象を選別して福祉の制度が適用されるといった従来型の施設中心からコミュニティ中心のいわば誰でも必要に応じて利用できる福祉の普遍化への道を歩み始めていた。
こうした背景から、先の縫田はつぎのように述べている。
「日本の福祉の発展のためには、その基盤としてのコミュニティ、それを形成している住民の支えがなければならないというのが私のかねてからの考えである。ボランティアが育たなければ日本の福祉は進まない。」
行政の責任者としての立場にあった人がボランティア活動の推進を唱えるとするならばそれなりの行政をして支援する根拠が必要である。その根拠を日本の福祉を推進してゆくにあたって、福祉の基盤をコミュニティに置き、福祉の流れを変革してゆく為には、行政を中核とした公的セクターのみでなく、住民主体による地域住民自身の参加を期待し、ボランティア活動を杜会的に認知し、支援してゆく方向を探り始めたのであった。
しかし、当時、こうした行政による直接の運営については反論もあり、実施までには3年近い調査と研究、かつ関係方面との話し合いなどの慎重な準備があった。」
1969年から1974年に亘る7年近くをかけて東京都ボランティアコーナーの設立の準備が手探りで開始された。その際の詳細については以下に示す別表の通りである。1971年当時専修大学教授、中田幸子を代表する「ボランティア活動に関する研究」、1973年、「婦人ボランティア活動の現状と今後の課題」(当時東洋大学教授、現大正大学教授吉澤英子代表)による東京都より受けた委託研究が重要である。同報告書の調査対象となった団体や活動者にたいして報告会がもたれているがその参加団体が、後のボランティア活動推進協議会となり、ボランティアコーナーの設置と運営に大きな力となるのである。

東京都ボランアィアコーナー設立までの経緯

1969年 (昭和44年)

9月 都社会福祉審議会が「東京都におけるコミュニティ・ケアの進展について」を答申。以来、局内にコミュニティ、ボランティアに関する論議がなされる。

1971年 (昭和46年)

6月17日 縫田曄子NHK論説委員、東京都民生局長に就任。以来、ボランティア活動への援助、都社会事業学校卒業生の活用につき、検討の必要を示唆。
8月 民生局企画課、嘱託研究員中田幸子氏に「ボランティア活動に閲する研究」を依頼。(47年8月発行)

1972年 (昭和47年)

1月14日 年頭の局議において、民生局長、各部の年間の課題を提起。婦人部において、婦人の自主活動の一環としてのボランティア活動に対する都としてのかわり方の検討を提起。
1月28日 局議において、婦人部長より、ボランティア活動の援助のあり方に関する局内関係課長によるプロジェクトチームの設置を提案。
2月4日 局議において、「婦人ボランティア活動の援助事業の企画について」プロジェクトの設置を決定。
2月23日 ボランティア・プロジェクト、第一回開催。以来、9月6日まで11回開催。
●第一回会合における民生局長の趣旨説明
1)ボランティア活動は、住民自身の力で社会福祉を推進するものとして貴重である。
2)ボランティア活動への意欲を持ちながらも、活用を図る体制が欠けているために、活動の場を得られないでいる人が多い。
3)婦人の潜在的な能力を積極的に活かす婦人施策の一つと考えたい。
4)行政がボランティア活動の推進を図ることには問題もあろうかとも考えられるが、英国などでは積極的な援助がなされていると聞いている。都においても何かサービスをすべきことがあるのではないか。
5)考え方、援助の方法など、具体的に検討してほしい。駄目なものなら駄目という結論でもよい。
4月11日 都民室主催で、知事と婦人ボランティアとの対話集会開催。テーマ「福祉について」(出席者50名)
6月 民生局婦人部、吉澤英子氏他4名に「婦人ボランティア活動の現状と今後の課題」について研究委託(48年3月刊行)
8月22日 吉澤ボランティア研究会、中間報告「ボランティア援助事業についての基本的構想」でボランティア援助事業について、基本構想を提言。
●提言の要旨(都の施策への提言の部分)
1)ボランティア活動のために、民間と行政は積極的に協力し、相互に刺激しあい、ラセン的に発展しなければならない。
2)都は専門家による特別委員会と専任職員を設量して、年次計画に基づく援助事業を行い、その過程を調査究指導し、その成果を全都に波及させる。
3)援助事業は、都において、情報提供、啓蒙宣伝、人材養成を行なうことともに、モデル拠点を設定して、計画的重点的に専門職員を配置し、財政的にも援助する。
4)モデル拠点は公私の団体、地域センター、施設とし、ボランティア活動のためP.R.、教育馴練、相談助言、調査研等、ボランティア・ビューローとしての事業をモデル拠点の特性に即して多様に実験的に展開せしめる。
5)その外、専門職員、ボランティア・リーダー等の養成を民間機関に委託するなどして、民間機関を活用するとともに、公私の専門職員の交流を図る。
9月6日 婦人部、ボランティア・プロジェクト最終回、民生局長に報告。
●プロジェクト報告要旨
1)コミュニティ作りを最終目標として、その人的側面を支えるものとしてボランティア活動を位置づけ、ボランティア供給的側面、受入的側面、連絡調整的側面の三面の総合的な条件整備を行政の課題とする。
2)都内に数か所モデル地区を設定し、地区社協を拠点に人的財政的強化を図り、地域の体制整備を進め、これを全都に波及させる。
3)中央にボランティア・センターを設置し、全都の連絡調整とモデルとしての事乗を行う。当面は都で設置するが、条件が整い次第民間団体に移管ずる。
4)民間のボランティア関係団体の代表により、ボランティア協議会(仮称)を設置し、モデル地区及びボランティア・センターの事業について助言勧告するとともに、団体相互の連絡調整にあたる。
5)以上の事業は、ボランティア活動が基本的に住民の自発的な活動であることに留意し、民間団体の主導のもとに、運営されなければならない。
9月12日 関係部長会開催。ボランティア活動援助事業の実施方針につき協議。民間関係団体との十分な協議のうえ、具体化を図ることとする。
10~12月 ボランティア関係団体と個別に懇談

1973年 (昭和48年)

2月 民生局次長、知事に対し、事業の趣旨を説明し、了解を得る。
3月 吉澤ボランティア研究会より「婦人ボランティア活動の現状と今後の課題」最終報告が提出される。
●研究報告要旨(都の施策への提言の部分P.59~60)
1)ボランティア活動は主権在民の主体性を確立する憲法の理念に基づくものであり、住民と共にする政治の実現を目指し,積極的に援助施策を行うべきである。
2)今日のボランティア活動に対する住民・行政の理解の不足や、民間推進団体の連携の不足などの現状において、行政は将来の展望に向けて、連絡調整、情報、調査企画、教育訓練などの機能を持ったボランティア・センターを設置し、民間の学識経験者や関係団体の代表による特別委員会によって運営すべきである。今日の杜会福祉協議会が再編強化されることにより、センターの役割を果たすことも可能だが、現状では分離し、提携を図ることが適当である。
3)ボランティア・スピリットの涵養のために、住民ぐるみの教育が必要である。
4)当面、都内のボランティア活動が直面している無理解、資金不足、リーダー不足の三大問題に対処するため、都はボランティア・コーナーを設置すべきである。
5)ボランティア・コーナーは、情報、宣伝、運絡調整、リーダー養成を行うほか、会合等の場や器材の提供を行い、また相談員を配置して活動上の相談助言に応ずる。
6)ボランティア・コーナーは、住民の活動の自発的発展の動機づけとともに、行政と地域二ードとの架橋的役割を果たすものであり、特別委員会、相談員その他による運営委員会の主体的なプログラムによって運営される。
7)行政はボランティア活動援助事業の実施にあたり、現状の変化に即応する柔軟性と、実験と改善を重ねる研究的態度が望まれる。
3月3日 吉澤ボランティア研究会が、調査研究に得たボランティア活動推進団体等に対し、報告会を開き、提言を行う。以後、毎月1回の会合を確認。
4月1日 東京都の昭和48年度予算に於いて、活動推進援助事業が認められる。
●予算の規摸と考え方―総額390万円
1)ボランティア関係団体等によるボランティア協議会を設置し、事乗の運営について助言を得るとともに団体相互の連絡協議の場とする。
2)民間人による専門の相談員と事務職員を配置したボランティア・コーナーを設置し、相談助言に応ずるとともに、情報資料、活動機材、会合の場を提供し、ボランティア活動の使宜を図る。
3)当面モデル地区等は設定せず、今後の推移をみる。
4)事業の運営にあたっては、ボランティア関係団体の主導性を尊重し、状況の進展によっては民間団体に事業主体を移管し、都は施設、経費の援助のみにすることも展望する。
4月7日 吉澤ボランティア研究会の呼びかけによるボランティア活動推進団体等の第二回会合において、吉澤研究会の提言に基づき、協議会の設定を決定。
●会の名称「東京ボランティア活動育成機関連絡協議会」(以後、何回か名称変更あり。) ※注
●会の代表者 吉澤英子
(会の事務と経費は都婦人部が処理する)
以後、各団体の活動報告、問題提起とともに、協議会の役割や、ボランティア・コーナー構想について協議を重ねる。
7月14日 ボランティア活動推進機関連絡協議会において、ボランティア・コーナーの設置について、協議会の検討内容を取入れた都の案(業務、機構、人事等)が示され、協議会の了承を得る。
9月1日 協議会において、協議会代表のボランティア・コーナー運営委員を選出、都が依頼する。中島(東京都社会福祉協議会)、枝見(富士福祉事業団)、松本(日本YMCA同盟)、香山(日本青年奉仕協会)、他に相談員(吉澤、中田、渡辺)とコーナー担当員代表以後、コーナー開催の準備。
10月1日 都民の日、東京都児童会館内に、東京都ボランティア・コーナーが開設される。

注 東京都ボランティア活動推進協議会の名称の変遷。
昭和48年4月~7月 東京都ボランティア活動育成機関連絡協議会
〃 48年7月~9月 東京都ボランティア活動推進機関連絡協議会
〃 48年9月~49年7月 東京都ボランティア活動推進協議会
〃 49年7月~現在 東京都ボランティァ活動推進協議会

おそらく公私協働のこうした動きは容易なことではなく知恵と相互理解がなによりも必要であった。 先の中田幸子は公私協働について「公と私が対等の立場で相互に信頼しつつ各々の特色を出し合って/協力して、共に働くこと」2とのべている。

中田がいみじくも述べている通り、異なる環境と役割を持ちながら関わりあってきたものの、ボランティア活動のもつ本質を理解しつつ支援してゆくことの意義を確認しあってゆくことは相互理解なくしてはありえず、そのため努力の過程が必要であった。
引用した年表にも示されてあるとおり、東京都民生局長は年頭の局議において婦人の自主活動の一環としてのボランティア活動に対する都としての関わり方の検討を提起し、その後局内関係課長によるプロジェクトチームが設置された。この第一回目の会合における局長の主旨説明が興味深い。年表に記さあるとおりであるが、特に、「行政がボランティア活動の推進を図る事には問題もあろうかとも考えられるが、英国などでは積極的な援助が為されていると聴いている。都においても何かサービスすべきではないか。考え方、援助の方法等、具体的に検討してほしい。駄目なものなら駄目でもよい。」
この、「駄目なものなら駄目でもよい」とにかく検討を開始してみようという提案であった。
その後、このプロジェクトは民生局長に次のような最終報告をした。
「コミュニティづくりを最終目標として、その人的側面をささえるものとしてボランティア活動を位置づけ、ボランティアの供給的側面、受け入れ的側面、連絡調整的側面の3側面の総合的な条件整備を行政の課題とする。」
この目標を実現するために、都内に数か所のモデル地区を設置する事や中央にボランティアセンターを設置してゆくことをこのとき決定している。
この報告書の5項目目に「以上の事業は、ボランテイア活動が基本的には住民の自発的な活動であることに留意し、民間団体の主導のもとに、運営されなければならない。」とある。
民間団体が運営することが望ましいのではなく、運営されなければならないとされた点が重要であった。この公私協働の新しい試みは東京都ボランティアコーナーにおいていわば最初の実験であったともいえよう。先にも述べた通り、都のプロジェクトチームと吉澤英子代表によるボランティア研究会、民間のボランティア活動推進協議会の協働活動であったともいえよう。図1に示した通り、東京都ボランティアコーナーの事業の運営は運営委員会の手に委ねられた。ここで活動の計画実施、予算の審議、人の採用などすべてのことを取り仕切っていくのである。このコーナーが後のボランティアセンターとして発足し、吉澤英子教授が所長として就任し、その運営を東京都社会福祉協議会に委託した後も このシステムは変わることがなく継続されることになり、現在のボランティアセンターでもなおこの運営の仕方に変化はない。但し、東京都の委託事業ではなく、1995年より補助事業として位置づけられている。 この運営委員会の構成メンバーは学識経験者、推進協議会メンバー、東京都社会福祉協議会職員、コーナー熾員、東京都職員である。従って、推進側であった東京都と実践側の推進協、コーナー職員との連携で運営されていたことがわかる。

対等なパートナーとして公私協働をすすめるために

市民が一人の主体者として、営利を目的とするのではなく、生きがいや社会参加を求めて、ボランティア活動等の市民参加活動をする時、行政はこうした活動を行政の下請けとして位置づけたり、行政の補完的存在として捉えたりするのであれば、ボランティア活動はその本来的な力を発揮することは困難になるであろうということを述べてきた。
ボランティア活動や非営利の市民活動とが行政と対等のパートナーシップを持ちうるような関係を形成してゆくことが、結果としてボランティア活動の潜在的力を充分に発揮することになり、社会の活力を生み出したり、行政では手の届かない柔軟で創造的な活動を展開してゆくことになるのである。われわれは地域や家族の間題についても行政の縦割のセクトを越えて広く地球サイズで取り組む多くの実践例を身近に体験してきている。
わが国の場合、家族や地域社会で、われわれの生活上に生じるもろもろの課題を解決していくという家族制度としての「家」が、社会保障の代替としての機能を果たしてきた。その「イエ」連合が「ムラ」を構成し、地域共同体として機能し、社会的解決を図るという歴史的経過を辿ってきている。
その結果、家族、地域の近隣の人々、親族、友人といった身近な個人レベルの「インフォーマルセクター」が第一義的に問題解決をする際の基礎的な資源であった。「家の恥を世間にさらさない」といった「恥」の意識から、できるだけ、社会的解決を図るよりも個人的解決を、インフォーマルなセクターを動員して図ろうとする、生活習慣、生活様式が身についてきていた。
子どもの問題、高齢者、障害者のケア等もほとんど家族内で対応してゆくということが長いわが国の伝統といってよい生活の仕方、しきたりであった。「年寄りの世話をするのも、子どもの世話をするのも、嫁を中心とする女性の務めであった。
もし、これらのことがどうしても、さまざまな理由から困難であったりする場合、つまり、家族の責任として遂行することができない状況にある時、そうした場合に限って、行政による対応、つまり、「公的セクター」による支援を得ることが可能となったのである。
制度や政策の活用、公的責任としての措置による対応が実施されるのである。施設、機関の活用、給付、手当等の支給、公的機関から派遣されるマンパワーの利用が可能となったりするのである。
また、高齢者や障害者等の世話、ケアー、子育てといった人手を必要とする実践を家族が行うことが困難になった場合、営利団体、企業等の営利セクターを活用して問題解決することも行われている。
ベビーシッターを依頼したり、人材派遣会社により人の派遣を依頼する等、金銭、賃金を支払って、経済的対価によって、サービスを買うという手段を用いることで、問題解決を図る場合も少なからず用いられる。
以上のように、われわれの生活の中で、継続的支援を必要とするような課題が生じたとき、その解決のために、従来、3つのセクターが活用されてきた。 すなわち、第一は、家族、近隣の人々、親族といった個人レベルのインフォーマルセクターによる場合である。第二は、行政、公的機関、施設・公費の活用、制度・政策の利用といった行政等によるパブリックセクターの活用である、第三は金銭、賃金を支払うことによって得られる営利企業・団体の活用による場合である。このように多くは個人レベルで解決し、それができない時は、行政サーピス、営利企業・団体利用によって、様々な社会的問題の解決を図るといったライフスタイルが伝統的なわれわれの生活様式であった。
近年、大きな注目、関心を呼び始めたのは、今回の阪神・淡路大震災ではこうした市民団体ボランティア等の非営利の市民参加である。この活動は、様々な動機、様々なきっかけで始められるので、多様な活動の展開がある。誰かに命令されたり、強制されて始められるのではなく、市民一人ひとりの自発的、主体的な実践活動である。「近隣に一人で暮らしている高齢者が最近、買物にスーパーマーケットに行く姿を見かけないがどうかしたのだろうか?」とか、「足を骨折して外出がままならない一人暮しの人のために、買物を代わってしてあげよう」等といった、地域の人々が「気にかかる誰かのために―をしたい」といったごく単純な動機から、出発するのである。あるいは、障害のある人で24時間介護が必要な場合、友人の紹介でその障害者の自立生活の話を聞き、その人の生活を通して、多くを学び、もし自分にできることがあれば、その障害者と関わってゆきたいと願い介護者と関わりを持つなどのさまざまな内発的契機により、そうした活動に参加するのである。たまたま、夫の転勤に同行し、アジアの国での生活に触れ、やむにやまれぬ思いで、帰国後国際的活動団体に参加し、NGOのメンバーになった人もいる。
こうした、非営利のボランタリーな活動が個人レベル個人単位ではなく、集団としての実践力を持つに至ってきており、社会的つながりを形成する場合も決して少なくない。
個人の内発的契機によって始められた活動が次第に社会的関心を持ち、また活動そのものも社会的・連帯的活動へと発展してゆく場合も少なくない。
例えば、小さな、ごく5、6人の仲間によって始められた地域で一人暮しの外国籍の人への日本語を教える活動が次第に地域にとってなくてはならない、大切な実践団体として成長し、わずか数人を対象とした語学ボランティアが150人以上の外国籍の人を支援する大きなグループヘと成長し、更に、こうした団体が連絡をとり、連絡会を形成するまでに至る例も稀ではない。
最初は日本語を教えることから始めていくうちに外国籍の人々がもつ生活上の不便さ、地域社会での孤立状態に気つき、異文化コミュニケーションの重要性を学習していくこととなり、ボランティア自身の大きな生き方の転換を迫られることとなった例などは決して少なくない。
更に、その背景に、わが国固有の排他主義、利益誘導、能率・効率を重視する社会構造や南北問題の実態に触れ、地球サイズで考えたり行動したりすることの重要性を学ぶなど社会的・文化的状況を認識し始めるようになってきている。
このように、ボランティア活動・市民参加活動はバランスのとれた成熟した市民社会を形成していく上で欠くことのできない側面を有しているのである。 行政の硬直化を未然に防いだり、個人主義、利己主義に陥り易く、目先の利益をのみ追求しがちな営利団体はもはやコミュニティや家族の生活を破壊したり、無視したりすることでは、わが国の将来は決して健全で豊かな社会とはなり得ないことを学び始めている。
こうしたボランタリーな市民活動を支援していくために、次のことを提案しておきたい。

むすびにかえて

まず、第一に、公私協働の関係を築くためには、こうした実践団体を対等のパートナーとして位置づけ、第三のセクターとして社会的認知をすることが必要である。
第二は、こうした非営利のセクターの主導性を尊重し、行政の役割は事業主体をこうした団体に委ね、公共の施設、場所の提供、活動経費の援助に限定する。
第三は、優れた市民団体、ボランティア団体には、必ず、優れた有給の、コーディネーター、ファシリテーター、プランナー、アドボケーターの役割を担うスタッフが配置されている。かつてのように、無給のスタッフによって、業務が遂行されるのでは限界がある。有給の専門的トレーニングを受けたスタッフの養成は急務の課題であり、そうした人々が継続して配置できる財政的支援が不可欠の要素となってきている。
第四は、こうした市民団体、ボランティア団体の活動内容は、かつてのような狭く限定されたものではなく、幅広く多様な活動に変化してきている。従って、行政が支援する際、行政の縦割のセクターに限定したり、管理したりするのではなく、活動団体が二ーズに対応してしなやかに、創造的、開拓的、先導的に、活動展開が保障されるよう配慮される必要がある。
第五は、活動に対する情報のシステムの構築、研修の保障、団体の相互交流の支援など、活動のための基盤整備に支援する必要がある。
第六は、活動団体にどのような支援二―ズがあるのか、その実態を明らかにし、それに対応するための活動保障、例えば、ボランティア休暇、税制上の取扱のあり方、団体の法的位置づけ等についての支援を実施するための制度・政策の検討を広く当事者を含めて市民参加によって展開する必要がある。

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