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東日本大震災から6年半。風化させない、忘れない、と言いながらも、否応もなく震災の記憶は抜け ていくと実感します。たとえ「東日本」に暮らしているのであっても、とりわけ生活の基盤が、あっと いう間に以前の日常を取り戻した「東京」にあるのなら。
地震とそれに続く原発事故については、怒濤のような報道に続いて、たくさんのドキュメンタリー映 画が制作され上映されました。その後、震災はフィクションの題材にもなっていき、映画や、そして「震 災後文学」と呼ばれる一群の文学作品も登場しています。
それらを見たり読んだりすることで、被災地 から離れた場所に住むわたしたちも、震災そのものや、被災するとはどういうことかについての一部を 知ることができます。そしてそれぞれの立場から、何らかの思いを抱くことと思います。
が、いざそれらの作品を前に何かを語ろうとすると、どんな言葉で何を語ればよいのか思いあぐね、 口ごもったり黙ってしまったりする、そんなことはないでしょうか。一体何がわたしたちをそうさせて しまうのでしょうか。
そこで、今回は震災を扱った作品を前にした「自分」について、話し合ったり聞き合ったりする対話 の場を作りたいと考えています。
対話の入り口として、震災後の福島をテーマに小説を発表し続けている作家・志賀泉さんの最新作「花 火なんか見もしなかった」をとりあげます。これは、読みやすい作品かもしれないけれど、もしかした ら感想を言いやすい作品ではないかもしれません。
わたしたちを口ごもらせるものがあるのだとしたら、それは作品の中にあるのか、わたしたちの中にあるのか。
そんなところから、話していってみたいと思います。
2017年11月18日(土)
14 時~(17時30分終了予定)
千代田区、 不特定
エイブル・アート・ギャラリー
千代田区外神田6-11-1 アーツ千代田3331 内#208
どなたでも
E-mail
波止場てつがくカフェ
hatoba.de.dialogue@gmail.com
※申し込み優先
私たちがこの言葉を説明する際に困ったなぁ、と感じるのは、「哲学」という言葉がもっぱら、単に“学問ジャンル”を指すものとしてしか理解されていないということです。
本に書かれた「哲学者」の名前。
難しそうな表情の肖像画。
書き並べられる思想と格言。
そうした内容を理解し、論じること――。
もちろん、それが“取るに足らないもの”なのだという風には全く思っていないのですが、私たちの考える哲学は、そういうものでは全然ないです。
私たちの考える哲学。
それは、自分の「当たり前」が問い直されること。
普段「当たり前」としてきたものが、本当はどのようなものなのか、考えてみること。
そしてその作業を、自分以外の誰かとの<対話>を通じて行うということ。
つまり私達の日常を、自分たちの血が通った言葉で、<共に>考えてみること。
そういうものが、私たちが発信したい「哲学」であり、<てつがく>です。
波止場てつがくカフェは、おおむね次のような流れで対話を進めています。
通常はその回ごとにテーマをご用意させて頂きます。 そのテーマから出発して、自分たちが「当然」「普通」と考えていることが本当にそうなのか、集まった方々と言葉を交わす中で考えます。
テーマを受けて感じたこと、連想したこと、気になったことなど、なんでも自由にお話していただければと思います。
1での対話を受けて、問いを立てるために欠かすことができないと思われるキーワードを挙げます。また、必要に応じて、キーワードと考えられる言葉の定義を確認します。
キーワードを手がかりにしながら、私達の日常の「当たり前」を根源的に問い直すような問いを考えます。
問いが立ち上がれば、自ずと答えも立ち上がるものと思います。
たったこれだけなのですが、ちょっとした事前説明と休憩をいれて、だいたい2時間30分~3時間ほどの時間を要します。
長い・・・とお感じの方もおられるかもしれません(笑)
じっくり話を聞き、丁寧に考えていくことは、なかなかに時間がかかります。
でも、気付いたらあっという間に時間が過ぎていた、ということも。
むしろ時間が全然足りなかった、ということの方が多いくらいだと感じます。
もちろん、途中で飲食をしていただいて構いません。
リラックスした気持ちで対話をお楽しみいただければと存じます。
詳しくはコチラ
波止場てつがくカフェ?
波止場てつがくカフェ
hatoba.de.dialogue@gmail.com