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「対話」という言葉が置かれている状況を、あなたはどのように考えますか?
対話型授業、企業内対話、市民対話、対話型ビジネス・・・
「熟議民主主義」、更にはシティズン・シップ教育や「新しい公共」といったものまでその円周に含めれば、「対話」という言葉には、コミュニケーションの困難が叫ばれる現代社会において、様々な期待や希望が読み込まれているように感じます。
たとえば「道徳の教科化」を契機としつつ、教育分野でも対話型の教育の普及が前向きに検討されていることを考えるとき――。(注1)
今や「対話」は時代の要請である、そのような声も、故無きものではないように感じられます。
一方、昨年そのような方向性とは正反対とも考えられる内容が、日本政府の外交方針として掲げられました。
「必要なのは、対話ではない。圧力なのです。」
昨年9月21日のニューヨーク。国連総会の場において安倍・内閣総理大臣は、このように演説を行いました。(注2)
2000年代以降、おもに朝鮮民主主義人民共和国を念頭に繰り返されてきた「対話と圧力」という外交方針は、緊迫化する東アジア情勢の中で、今や「圧力」こそが必要なのであると断言されるに到ったのです。
政治指導者が、ネットを通じて互いに罵詈雑言を浴びせあう中。
「対話」の放棄が宣言され、「圧力」がそれにとって代わる――。
その向こうには、東アジア地域を主戦場とした軍事衝突が――核兵器の使用という可能性を含んだものとして――見据えられています。
政府のこうした言説を、「対話の場」の場を開いていこうとする者は、どのように受け止めるべきでしょう?
外交の場における「対話」とは、私たちの「対話」とは全く無関係のものとして切り分けるべきでしょうか?
私たちの「対話」と外交における「対話」は、どのように異なるものでしょうか?
時に未来を切り拓くための「価値」を示すものとして期待を集めるものが、しかし同時に、一国の政府によって「必要がない」と放棄される。
「対話」という言葉は現在、極めてアンビバレントな状況に置かれていると感じます。
私たちは、この混乱をどのように考えればよいでしょうか?
そもそも「対話」は、本当に必要とされているのものなのでしょうか?(あるいは、「誰に」?)
「対話」という言葉は現在、一体どのような状況のもとに置かれているのか。
そしてその中で、“私たち”の「対話」はどのようなものであり得るのか。
前提を設けることなく、話してみませんか?
政府による「対話の放棄」という宣言を前にして。
「対話」を大切にし、それを社会に生かそうとする全ての方に、呼びかけます。
注1
文部科学省,研究開発学校制度,お茶の水女子大学附属小学校(東京都)(平成27年度指定)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kenkyu/htm/02_resch/0203_tbl/1296101.htm
お茶の水女子大学附属小学校では、「教育実践の中から提起される諸課題や、学校教育に対する多様な要請に対応した新しい教育課程(カリキュラム)や指導方法を開発するため、学習指導要領等の国の基準によらない教育課程の編成・実施」を行う「研究開発学校」の指定を受け、新たに「てつがく」科が創設された。
この教科では、「自明と思われる価値やことがらを、「対話」や「討議」など多様な言語活動を通して問い直し考える」ことで、「「道徳の時間」と他教科の関連を図り」ながら、「教育課程全体で、人間性・道徳性と思考力とを関連づけて育む研究開発を行う」ことが目指されている。
注2
第72回国連総会における安倍内閣総理大臣一般討論演説(内閣官房内閣広報室)
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2017/0920enzetsu.html
2018年3月25日(日)
13時~17時
新宿区
新宿区立消費生活センター分館会議室(高田馬場創業支援センター併設)
東京都新宿区高田馬場1丁目32−10
「対話」を大切にし、それを社会に生かそうとする全ての方
下記のサイト(こくちーず)より申し込みください。
※アカウント登録などの必要はなく、お名前とメールアドレスのみの記入で申し込み可能です
⇒http://kokucheese.com/event/index/508020/
「対話」に関心をお持ちの方々と前提を設けず、ざっくばらんに考えを述べ合い、聞きあう試みとして企画するものです。当日は議事整理のため司会を設けますが、特にファシリテーションを行うようなことはございません。
定員20名
参加費100円
以下のURLよりお問い合わせください。