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【波止場てつがくカフェ】
第19回波止場てつがくカフェ「ウソ(fake)はどこから!?~つくり話・冗談、虚偽について~」

  • 1時間~可
  • 初心者歓迎
  • 中高生歓迎
  • 親子歓迎
  • 見学・体験歓迎
  • 話し相手・傾聴
受付は終了しました
 

ID:43267

※この情報の内容は受付を終了しています。連絡先など変更されている場合がありますのでご注意ください。

キーワード:
コミュニケーションメディア傾聴哲学対話
活動テーマ:
相談・カウンセリング 、 地域・まち・居場所づくり 、 セルフヘルプグループ・自助グループ 、 その他
団体名:
波止場てつがくカフェ

趣旨

「議論の前提が崩れてしまう」

「話し合いの土台そのものを破壊するに等しい」

「民主主義」とまで言わなくとも、ウソをつかないということは、社会において万人が備えるべき「倫理」として存在していると言えるでしょう。

一方、それを単に「つくり話」と言ったら、どうでしょうか。

小説に詩歌、絵画や音楽。

およそアートやカルチャーというものは一切、「想像力」の産物と言えます。

また、さらに身近なところでも。

日常のコミュニケーションにおいて「冗談」は、大変重要な役割を果たしていると言えるでしょう。

真剣な話しが全く出来ないというのも困ったものでしょうが、ジョークのひとつも許されないという環境は、私たちの言動を大変窮屈なものとしてしまうのではないでしょうか?

虚偽をかたることが「罪」として厳しく禁止される一方で、「事実ではない」ということを前提にそれを楽しむことにもまた、大変重要な役割が与えられる。

一体私たちにとって、<ウソ>とはどのようなものなのでしょうか?

もちろん、「虚偽」と「冗談」は別のもの。

特に権力の座にある者が、自分達の都合に合わせて事実を捏造するということは、許されないことだと思います。

しかし少なくとも、それらは人の心の中に留まる限りでは、同じ源泉をもっている…とは言えないでしょうか?

一体<ウソ>と「つくり話」や「冗談」は、どのように違うものなのでしょうか?

<ウソ>が国家的危機として語られている現在。

<ウソ>とはそもそもどのようなことなのか、考えてみたいと思います。

主要項目

開催日

2018年4月21日(土)


14時~

地域

台東区

場所

カフェ・エクレシア蔵前店(東京都台東区蔵前2-7-6)
※日本聖公会浅草聖ヨハネ教会併設
https://ja-jp.facebook.com/CafeEcclesiaKuramae ■アクセス:蔵前駅徒歩3分(都営地下鉄浅草線、都営地下鉄大江戸線)

対象

日本語の日常会話ができる方ならどなたでも

申込み方法・備考

※会場入り口には段差が存在しますが、あいにく昇降機などの設備はございません。入場にご不安を感じる方は、その旨お申し出頂ければ、可能な限りの対応をさせて頂きます。
※会場内には洋式のトイレがございますが、車椅子が入るほどの広さはございません。16時までは、隣接の日本聖公会浅草聖ヨハネ教会のバリア・フリー対応トイレがご利用頂けます。

■参加費:500円(ワンドリンク込み)

■申し込み:不要
※おおまかな人数を把握したいので事前にご連絡頂けると助かります
⇒hatoba.de.dialogue@gmail.com


チラシ表

チラシ裏

内容

波止場てつがくカフェは、おおむね次のような流れで対話を進めています。

1、テーマを受けての自由な意見交換

通常はその回ごとにテーマをご用意させて頂きます。 そのテーマから出発して、自分たちが「当然」「普通」と考えていることが本当にそうなのか、集まった方々と言葉を交わす中で考えます。

テーマを受けて感じたこと、連想したこと、気になったことなど、なんでも自由にお話していただければと思います。

2、キーワードを選ぶ

1での対話を受けて、問いを立てるために欠かすことができないと思われるキーワードを挙げます。また、必要に応じて、キーワードと考えられる言葉の定義を確認します。

3、問いをたてる

キーワードを手がかりにしながら、私達の日常の「当たり前」を根源的に問い直すような問いを考えます。

4、問いに対応する答え」を考える

この情報に関するお問い合わせ

hatoba.de.dialogue@gmail.com

団体紹介
団体名称 : 波止場てつがくカフェ
◆Q.「哲学カフェ」ってなに?
私たちがこの言葉を説明する際に困ったなぁ、と感じるのは、「哲学」という言葉がもっぱら、単に“学問ジャンル”を指すものとしてしか理解されていないということです。

本に書かれた「哲学者」の名前。

難しそうな表情の肖像画。

書き並べられる思想と格言。

そうした内容を理解し、論じること——。

もちろん、それが“取るに足らないもの”なのだという風には全く思っていないのですが、私たちの考える哲学は、そういうものでは全然ないです。

私たちの考える哲学。

それは、自分の「当たり前」が問い直されること。

普段「当たり前」としてきたものが、本当はどのようなものなのか、考えてみること。

そしてその作業を、自分以外の誰かとの<対話>を通じて行うということ。

つまり私達の日常を、自分たちの血が通った言葉で、<共に>考えてみること。

そういうものが、私たちが発信したい「哲学」であり、<てつがく>です。

http://introduction.hatoba-de-dialogue.net/p/front.html