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イベント・講座

【波戸場てつがくカフェ】
「正しく<恐がる>ことが必要だ」って、なんで?(第22回波止場てつがくカフェ)

  • 「1日だけ参加」も可
  • 土日参加可
  • 1時間~可
  • 初心者歓迎
  • 中高生歓迎
  • 親子歓迎
  • 見学・体験歓迎
  • 話し相手・傾聴
受付は終了しました
 

ID:47373

※この情報の内容は受付を終了しています。連絡先など変更されている場合がありますのでご注意ください。

キーワード:
ウィルスパンデミック哲学カフェ対話新型コロナ
活動テーマ:
地域・まち・居場所づくり 、 その他
団体名:
波戸場てつがくカフェ

趣旨

てつがくカフェにおける<対話>の場は、何が正しくて何が間違っているのかということを追究する場ではありません。そういう意味では、説得力を競い合うディベートとは異なりますし、もちろん、正/不正を論じ合い、意見を戦わせるような討論とも違います。

一方、ただ各々の話したいことをそれぞれに話す、という場でもありません。

また、参加者から示される意見について何も論評してはいけないということはありません。

むしろ相手の考えを吟味し、自分の考えとの違いや関係性について話すこと。何より、自分が疑問に思ったことについて、「なぜ?」「どうして?」と問うことは、対話の“肝”であるといえます。

https://introduction.hatoba-de-dialogue.net/p/front.html#q1

主要項目

開催日

2020年3月15日(日)


13時~

地域

豊島区

場所

■場所:広びろ青空の下(池袋駅西口至近)
※【事前申込制】お申込みを頂いた方には具体的な場所をお知らせいたします
※性別や車椅子利用の有無などに関わらず利用できるトイレが施設内にあります
※寒さへの備えを各自お願いいたします
※イスのご提供などはございません。お敷物などが必要な場合は、各自ご持参ください

対象

日本語で日常会話が可能な方

申込み方法・備考

Emailにてお申込みください。
⇒hatoba.de.dialogue@gmail.com


チラシ

内容

新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、事前申し込み制へと変更させて頂きました

感染が拡大する新型コロナウィルス。

最初の発生確認地である中国・武漢から、瞬く間に世界中に感染が広がりました。

マスクなどの衛生用品の不足。

患者の大量発生によって混乱状態に陥る病院。

感染の危機にさらされながらも、交代や休憩をとることもできない過酷な医療従事者の労働。

軟禁と呼ぶのが適切であるような、人の移動の制限。

「武漢人」「中国人」「東洋人」などという具合に向けられる、差別と偏見に満ちた視線や接遇。

都市が丸ごと封鎖状態にある武漢での混乱は、既に日本でも始まっていると言えるのかもしれません。

一方、ここに至って強調されるのは、例えば「手洗い」の有効性。

目に見えないミクロの世界の脅威に対して、大変に具体的で身近な生活習慣の重要さが、行政当局やメディアによって説かれています。

「科学的事実に基づいた、冷静な対応を」

「正しく<恐がる>ことが必要だ」

確かに「手洗い」や「マスク」は具体的で、ほとんど多くの人が実践できる予防方法だと思いますが…

しかし、それらを行うことが、なぜ「正しく<恐がる>」ことであると言えるのでしょうか?

本当にウィルスとの戦いに、「正しく<恐がる>」ことは必要なのでしょうか?

そもそも「正しく<恐がる>」とは、一体どういうことだと考えればいいのでしょうか?

「手洗い」「マスク」といった具体的実践の背後にそびえる、大切な「心構え」。

それがそもそもどのようなものであるのか、考えてみたいと思います。

■参加費:無料(カンパ歓迎)

■その他

雨天 (荒天)の場合は中止と致します(当日の開催の是非については随時twitterにて発信いたしますので、必要に応じてご確認ください)

当日は飛沫感染予防対策として、参加者の皆様各自の間に2mほどの距離(※)を設置したうえで、簡易メガホンをご用意いたします。必要に応じてご利用ください

沫感染予防対策として、可能な限りマスクを持参・着用することを呼びかけます。新型コロナウィルスは、感染しても自覚症状がない場合が多く、マスクの着用は自分以外の人間を感染させないために有効です

要事前申し込み新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、今回は事前申し込み制とさせて頂きます

この情報に関するお問い合わせ

hatoba.de.dialogue@gmail.com

団体紹介
団体名称 : 波戸場てつがくカフェ
哲学カフェとは、フランスの哲学者マルク・ソーテが1992年、パリにあるカフェ・デ・ファールで、・・・という感じの説明は、既に多くの書籍や詳しい解説のサイトがあるので、是非そちらを参照を。

私たちがこの言葉を説明する際に困ったなぁ、と感じるのは、「哲学」という言葉がもっぱら、単に“学問ジャンル”を指すものとしてしか理解されていないということです。

本に書かれた「哲学者」の名前。

難しそうな表情の肖像画。

書き並べられる思想と格言。

そうした内容を理解し、論じること――。

もちろん、それが“取るに足らないもの”なのだという風には全く思っていないのですが、私たちの考える哲学は、そういうものでは全然ないです。

私たちの考える哲学。

それは、自分の「当たり前」が問い直されること。

普段「当たり前」としてきたものが、本当はどのようなものなのか、考えてみること。

そしてその作業を、自分以外の誰かとの<対話>を通じて行うということ。

つまり私達の日常を、自分たちの血が通った言葉で、<共に>考えてみること。

そういうものが、私たちが発信したい「哲学」であり、<てつがく>です。