市民社会をつくるボランタリーフォーラムTOKYO 2021

障害を持つということ
~ヒューマンライブラリーの手法で学ぶ~

分科会 17

障害を持つということに対して、私たち当事者がどのように思っているか、考えたことはありますか? 当事者の持つ思い、生活に対する価値観、悩み、そして希望について、“ 本を読むように” 聴いてみませんか?ヒューマンライブラリーは物語る生きる本(当事者)と皆さんが物語(当事者の思い)を分かち合う場です。気軽に耳を傾けに来てください。どの本(当事者)を聴けるかは、当日のお楽しみです。


日時: 2月14日(日)10:00~12:00

定員: オンライン 10人

出演:

佐々木 崇志さん(プラスヴォイス所属カメラマン/ 聴覚障害の方)

福地 健太郎さん(JICA 勤務/ 視覚障害の方)

今村 彩子さん(「友達やめた」映画監督/聴覚障害の方)

アスペルガー症候群当事者の方

Yummy(スタンドアップフォーマルチカラーズ 代表/発達障害当事者)

こんな方におすすめ!:

  • 障害者支援を仕事にしている方
  • 障害児・者支援のボランティアに興味がある方
  • 障害と生き方について考えたい方

佐々木 崇志さん(プラスヴォイス所属カメラマン/ 聴覚障害の方)

<プロフィール>

佐々木さんは、生まれた時から耳が聞こえませんでしたが、聾学校在学中も、音を拾う訓練を重ねて生きてこられました。今ではろうあ者の方の中では比較的珍しい「音のない世界」を怖いと思うタイプだそうです。そんな佐々木さんは、一般会社での経理・営業補助の仕事をされた後、ろう児の放課後等デイサービスを立ち上げるなどの経験を積まれ、今は聴覚障害者の暮らしをよりよくするために働いているプラスヴォイスに転職し、聴覚障害者の特技である視覚への敏感さを武器にカメラマンとして活躍されています。その職歴からもわかるように新しいことにチャレンジするということにワクワクする性格だとおっしゃっていました。夢は聴覚障害児と健常児が互いに共存共栄する社会を実現させること。今回は、「障害があるから」を超えて、対話を深めたいとおっしゃっていました。

福地 健太郎さん(JICA 勤務/ 視覚障害の方)

<プロフィール>

福地さんは、小児がんのため、目が見えなくなりました。小学生になる頃まで住んでいた自治体では、「目が見えない」ことを理由に盲学校への入学しかできないと判断され、大阪に転居しました。ですが、大阪では、小学校から高校まで普通校に通うことができました。学校では、色々な行事の度、周囲と「どうしたら皆で一緒に楽しめるか」をテーマに話し合え、教科書や楽譜の点字化といった支援も得て「障害があるから~」と考えることはなかったそうです。大学では1年間の海外留学も経験し、英語力も磨かれました。ですが、新卒としての就職活動は、それまでと状況が一変し、苦戦。「障害がある」というだけで不合理な判断をされ、希望する職に挑戦ができないという経験もされたそうです。今回は、対話を通して障害の在処について考えたいそうです。

今村 彩子さん(「友達やめた」映画監督/聴覚障害の方)

<プロフィール>

生まれつき耳がきこえない。

両耳に補聴器をつければ、車や電車の走る音、話し声がするのは分かる。しかし、話の内容までは分からない。

聾学校幼稚部で発音訓練を受け、日常生活では口話(声で話すこと)を使う。小学校は地元の学校に通う。

手話は名古屋聾学校に転校した中2の時に身につける。

愛知教育大学ではノートテイクと手話通訳をつけて授業を受けた。

現在は、ドキュメンタリー映画を制作し、いくつかの作品は劇場でも公開されている。

主な作品「Start Line」(2016)、「友達やめた。」(2020)、次回作「きこえなかったあの日」(2021年2月完成予定)

アスペルガー症候群当事者の方

<プロフィール>

1974年生まれ。赤ちゃんのころは、母親が「死んでるのではないか?」と心配するほどよく寝ていた。小学生のころは、年下の子たちとよく遊んだ。言葉に遅れのあった弟の療育についていき、障害のある子どもたちと出会う。福祉や障害に対する興味から、福祉系の大学に進学。耳の聞こえない学生たちと共に過ごす中で、手話を習得する。卒業後、知的障害者の施設、保育園、児童自立支援施設などで働く。34歳の時、職場のパワハラでうつになる。治療の過程で、発達障害があるとわかり、もともとの読書好きが高じて、発達障害関係の本を読みあさる。現在、平日は聾学校で働きながら、休日に手話通訳の活動をしている。うつは寛解。アスぺは健在。自分とは何か?苦手なこと、得意なことは何か?今も模索しながら過ごしている。

Yummy(スタンドアップフォーマルチカラーズ 代表/発達障害当事者)

<プロフィール>

幼いころから、親や周囲から変わった子と言われていた。得意な教科と苦手な今日の差が大きく、算数や数学を授業内では理解できず、放課後泣きながら勉強していた。高校までは友達がいなかったが、大学生活は国内外に友人ができるほど謳歌した。しかし、社会人になり、自身の持つ大きすぎる凸凹により、自分のお金を稼ぐ力のなさにへこむ日々を過ごす。紆余曲折の末、2014年、現在の会社に入社した後、発達障害が発覚する。2018年、日本という国に生まれたことを発達障害を持った人間が後悔しないような社会づくりを目指して、企業の社内研修に参画することをめざす任意団体「スタンドアップフォーマルチカラーズ」を立ち上げた。現在は、日々社内外に迷惑をかけながらも、正社員として登用され、サバイバルしている。