(2006年9月12日 / 菅野道生 )
“みやけの風”を感じて③〜みやけ歴史ロマンの巻
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本土から180kmも離れた三宅島ですが、実は縄文時代には既に人が住んでいたそうで、遺跡や史跡が点在する歴史ロマンの島でもあります。
江戸時代には伊豆諸島の他の島々とともに流刑地として使われたこともよく知られています。
三宅島の流人には絵師の英一蝶(はなぶさいっちょう)、博徒の小金井小次郎、国学者の竹内式部(八丈島に流される途中に三宅で没)など歴史に名を残す人も少なくありません。なかでも有名なのが「江島生島事件」で知られる生島新五郎(いくしましんごろう)です。
時は江戸時代の中頃、当時人絶頂の歌舞伎役者だった生島と、江戸大奥の女中・江島との不倫関係が発覚。二人の道ならぬ恋は、大奥の権力争いを背景に江戸中を巻き込んだ一大スキャンダルに発展します。この事件で江島は信州・高遠藩へ遠流、生島は三宅島への流罪となりました。30年近くを三宅島で過ごした生島はその後赦免となりますが、江戸に戻って間もなく73才で亡くなり、その墓は三宅島につくられました。
この「江島生島事件」は江戸時代の悲恋物語としてしばしば歌舞伎や長唄などの題材に用いられています。
島の明け暮れ 生島さまと よぶは江島か波の音
花の江島がから糸ならば たぐり寄せたい身がそばへ

夜遅くまで続いた島の人たちとの宴会のあと、ほろ酔い気分にまかせてみんなで夜の散歩へ。
星明かりと波の音を頼りに真っ暗な錆ヶ浜(さびがはま)の海岸にたどり着いたころには時刻は深夜2時を回っていました。
三宅島特有の黒い玉砂利の浜辺にみんな大の字に寝ころんで、空には嘘みたいな満天の星。
生島もこの星空を見上げては、遠く離れ二度と会えない恋人・江島を思ったのでしょうか。
300年前の恋物語に思いを馳せつつ、波音を枕にしばしうたた寝です。
値千金の夏の夜でした。
