(2007年4月7日 / TVAC )
7年ぶりの帰島ささえたNPOと移送サービス
〜特養「あじさいの里」再開で利用者の帰島はじまる〜
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- 災害 、 送迎 、 移送サービス 、 三宅島
7年ぶりの帰島に向けて

2000年9月の三宅島噴火災害による全島避難では、島内唯一の特別養護老人ホーム「あじさいの里」も閉鎖に追い込まれ、その利用者もまた島外への避難を余儀なくされました。
あれから7年。そして、避難指示解除から2年。「あじさいの里」は今年4月から事業を再開することになり、その利用者もようやく帰島できることになりました。
全島避難の時、「あじさいの里」の利用者は、東京都内23区や多摩地域、あるいは近県の特別養護老人ホームや老人保健施設、病院など、それぞれ別々に移らざるを得ませんでした。施設の受け入れ人数に限りがあったり、家族の避難先もまた各地に及んだためです。このため今回の帰島では、各地の滞在先から利用者を個別に送迎しなければなりませんでした。
「あじさいの里」から相談を受けた東京ボランティア・市民活動センターでは、東京都内で福祉車両による送迎支援活動を行うNPO・ボランティア・市民活動団体のネットワークの東京ハンディキャブ連絡会に協力を求め、送迎の実施と支援に向けたコーディネートを行いました。

送迎にはNPOなどが協力
今回の送迎では、健康上の理由から車いすやストレッチャー(寝たまま搬送できる器具)を使っている島民が対象です。このためバスや電車などの公共交通機関では乗り降りがむずかしく、このために福祉車両による送迎手段が選ばれました。
東京では、こうした福祉車両を運行するNPOや事業者が数多く、東京ハンディキャブ連絡会のよびかけにも会員団体をはじめ多くの団体からご協力をいただきました。また、福祉タクシーや民間救急搬送事業者の団体である全国福祉輸送サービス協会にもご協力をいただきました。
送迎は4月3日から始まり、今日までに32人の送迎が行われました。今後、10日まで行われる予定です。


利用者の状況に応じた乗り継ぎ手段が確保
利用者の希望や体調をふまえ、船で帰る人については東京・港区の竹芝さん橋まで送迎、また船での長時間移動がむずかしい方は東京・江東区の東京ヘリポートへ送迎され、そこからヘリコプターで帰島しました。
ヘリコプターは、三宅村から要請を受けた東京消防庁と警視庁が所有するヘリコプターが使われました。
長時間送迎のむずかしさ
健康上の理由から移動が困難な場合、それにともなってどのような送迎手段を選び、それをどのように実施すれば良いか、専門的な判断が求められます。
三宅島災害では、2000年8月の雄山噴火時にも厳しい条件の中で送迎が行われたことがありました。一刻をあらそう極限の中での送迎の様子は、次のように記されています。
(略)ヘリコプターによる搬送にたえられるか、車イスにすわれるか、排泄介助は必要か、食事で注意すべきことは。(中略)付き添いの医療スタッフの確保やヘリコプターの運行計画、三宅島空港の受け入れ体制など、ひとつの連絡ミスもゆるされない。(略)
『三宅島 島民たちの1年』(三谷彰・著 / 岩波書店 / 2001年発行)31ページより。
東京のNPOや市民活動団体では、さまざまな事情から移動が困難な人に応じた送迎を行おうと、以前から研修が盛んに行われています。今回、こうした実績が生かされ、事故やトラブルなく送迎することができました。

今なお帰島が果たせない人もいる
三宅島では家族や関係者など多くの人びとが出迎え、、久しぶりの帰島をよろびあいました。
しかし、厳しい現実もありました。
残念ながら直前でお亡くなりになり、ついに帰島が果たせなかった人もいたのです。
また、体調がすぐれず、長時間の移動に不安があるために今回は帰島できなかった島民もいます。
「住民を引きずり出せばいいのではない」
災害発生時の送迎は、かならずといっていいほどあらわれる問題ですが、
ハード、ソフトの両面で方策や対応にしばしば遅れや無理解が見られ、
結果として「弱者」をつくりだしてしまっていることも少なくありません。
前述の『三宅島 島民たちの1年』には、「(避難における送迎は)ただ住民を引きずり出せばいいのではない」(36ページ)と記されています。
災害時の送迎、特に交通手段が少ない、あるいは海を隔てた地域での送迎のむずかしさ。
そして、今なお進行中の、三宅島災害。
災害、そして東京が抱える課題をあらためて浮き彫りにさせた、今回の活動でした。
(この事業は東京都共同募金会の配分を受けて実施いたしました)