市民社会をつくるボランタリーフォーラムTOKYO 2020

難病の制度と支援の谷間を考える会
/お話:白井誠一朗さん

難病の制度と支援の谷間を考える会

https://ja-jp.facebook.com/tanima.nanbyocafetomarigi/

2012年、難病の福祉問題を理解するための勉強会としてスタート。

難病カフェの開催と、当事者や団体のネットワークづくりに取り組む。


当事者活動とのかかわり

私は、指定難病である先天性ミオパチーをもって生まれました。この病気は早い段階から訓練をすると運動機能が保たれる場合があるので、私も中学までは他の生徒と同じような生活を送れていました。中学3年生の時、病気が進行したことで呼吸不全や心不全を起こしました。呼吸の力が弱まってしまうため気管切開をすることになり、日中は呼吸器を使わずに生活して、夜寝るときには切開したところから呼吸器を使って…という生活になったのが、15・6歳の時です。短い距離しか歩けなくなり、外出時に車いすを使うようになりました。移動の範囲が狭くなったため近所の大学への進学を決め「福祉制度を知っていれば、自分にとってプラスになる」という気持ちで社会福祉学科を選びました。ちょうど介護保険と障害者制度の統合について盛んに議論されていた時期で、DPI(認定NPO法人ディーピーアイ日本会議)や、JIL(全国自立生活センター協議会)などの「当事者団体」が様々な発信をしていました。そういう動きを学ぶことで、日本の障害者制度は当事者活動と国などのいろんなやり取りの中で作られてきたのだと知りました。


大学卒業後、なんとなく内部障害や難病の人たちのおしゃべり会に参加しました。そうしたら、いろんな参加者がいるのにニーズというか、困りごとが私と一緒だったのです。「疲れやすい」けれど「歩けているから(障害が)重く見られない」、「でも本当は結構大変」とか。さらに、頚椎損傷の方が「私は見た目で障害があることがわかるけど、頚椎損傷のために体温調整がうまくできない。これは外からは見えない辛さだ」と話していて。そういう辛さや困りごとを共有できたことで自分とは違う当事者性を持つ人とも共通することがあると知り、幅広い人たちとつながれる可能性を感じました。その時に感じたことが、今の活動につながっていると思います。

私が最初に関わった当事者活動は、月に1回みんなで集まる交流ベースのものでした。仲良くやっていたのですが、難病や内部障害に対する偏見、無理解や制度上の課題にぶつかる中で、「交流」から「運動」的な活動にシフトしていくことになりました。私自身は「運動も頑張ろう」という気持ちだったのですが、メンバーの中には「みんなで交流する機会を求めていたのに…」という方たちもいました。


セルフヘルプグループの発展段階として、こういう社会の問題に対して取り組むというのはあり得ることなのですが、メンバーや参加している人たちの求めるものと違っていくと、段々仲間が離れていってしまいます。「どうしたもんだろうか」と思っているうちに、自然消滅のようになってしまいました。ある意味セルフヘルプグループに共通する運営の難しさを早い段階で経験でき、今となっては良かったと思っています。


それに、この会の活動から多くのことを学びました。例えば、障害の程度や病名で判断される手帳制度の中では生活するのに大変な状況であっても手帳が取れない方が多くいることや、多くの難病の人たちは制度上の「障害」の枠組みに入れず、支援や医療費の助成が受けられないということ、難病や内部障害などの「目に見えない障害」のことは研究でもあまり取り上げられてきていないということなどです。それらは変えていかないといけないという問題意識も芽生えました。それはこの会でのいろいろな出会いがあったからだと思っています。


グループの始まり

ちょうど障害者制度改革推進会議 の総合福祉部会で障害者自立支援法にかわる新法制定に向けた検討がされていたころ、私は大学院生でした。制度の谷間の問題がどうなるのかと関心があり、傍聴にも行きました。検討会では「骨格提言」という画期的な提言がまとめられましたが、結果的には障害者総合支援法でこれまでの身体・知的・精神に加えて新たに難病等が法の対象となり、病名列挙による限定的な対象規定にとどまることになりました。その過程でどの病気が「制度の対象」になるか・ならないかという意味では「制度の谷間」の問題ですが、そもそも病名の問題ではなく生活の問題なんだ…という課題意識でした。難病というととかく病名や医療の課題が全面に出がちですが、まずは難病の人たちの生活上の課題やそこから生じる制度の問題について一緒に勉強しようということで勉強会を開いたり、院内集会を開催したりしたのが「難病の制度と支援の谷間を考える会」の最初です。


「谷間」についてですが、今はある程度制度が整ってきて支援や制度がある人たちも一定数いて、一方で何も制度がないという人も(以前より減ってはいますが)相変わらずいる状況です。ですが、問題意識の根本は、病名ではなく生活の困りごととして捉える必要があるということなので、「支援の谷間」という視点をもって活動していく必要があるのではないかと思っています。それで、会の名前を「難病の制度と支援の谷間を考える会」としました。2012年のことです。

院内集会にはたくさんの人が集まってくれて、新聞などにも取り上げられました。しかし、結局制度にはあまり反映されませんでした。それに会の中でも、例えば難病対策の法制化議論の際には医療費助成の負担などについてそれぞれの立場で考え方や事情が異なる中で、団体としてどういうスタンスで、どんな発信をしていくかなどといったことについて、メンバー間で共有し、合意をとって活動していくという当たり前のことが十分やりきれませんでした。それで「そもそも、団体としてどうなのか」という話になっていきました。


話し合いの結果、私たちは「しばらく運動はやめよう」と決めました。運動できる団体も大事だけど、私たちはまず自分たちの組織としての基盤を作らないとね、と。具体的には、当事者のつながりづくりをしていく取り組みにシフトしたということです。今も患者会はたくさんありますが、そこでは自分たちの病気の話が中心です。それも大事ですが、病名を超えて互いの生活上の課題を話せる場が少ないのが問題だと思っています。また、多くの患者会では高齢化も進んでいて、若い患者さんは大先輩のアドバイスを聞くだけになってしまっています。頑張って「職場で大変なんです」って話をすると「いや、きみ、就職できてるだけいいよ。僕らの頃はねえ…」みたいな。患者同士の集まりって、本来は共感してもらえる場のはずなのに…です。それに若い人たちが、何の問題もなく、働けていたり、社会に参加できてるかといったら、そんなこともない。一見、一般就労していて収入もそれなりにあってリア充に見えるかもしれない人たちもある意味、孤立しています。しんどさが周りに理解されない、近くに仲間がいないという社会的孤立です。そういう人たちの居場所をつくりたいと思い、カフェのような感じでやってみようとなりました。


2017年から取り組みを始めた難病カフェは、開催時間を「営業時間」として、場所を提供する感じでやっています。出入り自由で、特別な企画はせず、お客さん同士で話してもいいし、お茶を飲むだけでもいいというやり方です。「話したいけど、どうしたらいいんだろう」という方にも「まあカフェだから…頑張って」っていう(笑)。もちろん状況によっては運営側がフォローすることもありますが、基本的なスタンスとしては、来た人たちに自由にその場を活用してほしいと思っています。


カフェの雰囲気にこだわる

難病カフェは、疲れた羽を癒せるような場所にしたくて、とまりぎという名前にしました。最初の頃は、大学の教室や公共施設でやっていましたが、最近は一般のカフェをレンタルしています。会議室のような会場と、実際に営業しているカフェでは雰囲気が違って当然ですが、それが難病カフェの雰囲気を大きく左右することに驚きました。場所の力ってこんなにあるんだと。会議室だと、お互い「ああ…。今日は、どうも…」みたいな感じで、放っておくと全然話しが始まらないのです。でも、普通のカフェでやるとお客さん同士が勝手に盛り上がってくれるのですよ。それに、参加者の集まりもいいです。もちろんカフェを借りるって、費用の負担が大きくて大変なのですが、それでも、そういう場所でやることの意味はあると思いました。


カフェは居場所づくりの活動で、それ以上のことはあまり考えていないのですが、せっかくいろいろな悩みや問題を抱えている人たちの声が集まるので、それを制度政策に反映できるようなものにしていけたらという気持ちもあります。でも、以前の団体での経験があって、その2つを結びつけすぎてもいけないし、かといって、まったく別物かというと、そうでもないので、そこはさじ加減を考えてやっていきたいと思っています。


ネットワークで新しい活動を支える

以前開催したシンポジウムで「東京の難病カフェは遠方からの参加者もあって、地域密着ではない」という話が出たのですが、裏を返せば、東京で開催すれば、いろんな所からいろんな人が来て、それぞれが地元に戻って「自分たちの地元でやってみたい」となって、いろんな地域に難病カフェが広まる可能性があるわけですよね。だから東京には他の地域とは違う、そういう役割や期待があるのかなと思っています。


しかし「自分も難病カフェを始めたい」という相談を受けたとき「僕らの場合は…」という話はできますが、それだけになってしまいます。活動を始める方が最初に困るのは、場所探しや一緒に活動する仲間集めです。カフェの数だけ「こうやった」という経験があるので、それを共有できれば難病カフェ立ち上げの「ノウハウ」が蓄積されていくと思いました。


また私たちもですが、難病カフェを主催している団体のメンバーはほんの数人であることが多いです。しかも、悩みながらやっています。例えば、カフェが満席の時に新しい参加者が来たら「満席です」と断るのか、長くいる方に「代わってください」と帰ってもらうのか。トラブルが起きたらどうしようとか、いろいろなことを心配しながらやっているので、いざというときに相談できるつながりがあるとか、拠り所となる「共通ルール」があるとか、そういうことが活動の支えになります。団体の垣根を越えてつながれる場がないと自分たちだけでは行き詰まっちゃうのです。


そのようなこともあって昨年から、難病カフェのネットワーク化に取り組んでいます。いま「難病カフェ」の名称で開催されている活動の形態や中身は様々で、共通の基盤があるわけではなく、言ったもの勝ちのようなところがありますが、このネットワークでは「難病カフェとは何なのか」ということを含めて、難病カフェが「大事にすること」や「外せないポイント」を見出していきたいと思っています。一人ひとりの「やってみよう」を促進できるネットワークを目指しています。


当事者活動をさせる社会資源の充実を

当事者活動を続けていくにあたり、「あったらいいな」と思うことが2つあります。まずは、運用について柔軟に対応してくれて、かつ運営費にも使える助成金です。今は継続的に支援してくれている助成財団があるのですが、そういった助成金はまだまだ少ないのが現状です。当事者活動においては、助成金の対応で活動に支障をきたしてしまうということもあり申請に躊躇することも少なくありません。

もう一つは、人材紹介です。例えばリーフレットを作りたいと思ったときに、デザインのスキルがある人を紹介してくれたり、総務的なことに困ったら事務局を支えてくれる人を紹介してくれる。でも、大事なのは、そういう外からスキルを提供してくれる人が、当事者活動の主体性を乗っ取らないでいてくれることです。当事者活動には関心があるけど、あくまでも外部の応援団みたいな人たちがいて、そことつないでくれる資源があるといいなと思います。


当事者活動を始めたい方へ

「当事者活動を始めたい」と思っている方には、やりたいことにチャレンジしてほしいということとともに、くれぐれも仲良くやってほしいと伝えたいです(笑)。自分がやりたいことをやるだけなら一人でやればいい、でも仲間とやるのであれば仲間は大切にしてほしいと思います。

うちの会の活動も、外からはいろいろなことが「遅い」と感じられるかもしれません。もちろん、団体の中で議論したり話し合うこと自体はいいことだと思います。でも活動のスピードを上げた時のいろんなひずみが恐くて。自分たちのペースを守らないと、会自体がなくなってしまう可能性もあるので、お互いを大切にしながら慎重にやっています。