市民社会をつくるボランタリーフォーラムTOKYO 2020

何も分からなかった時はひたすら辛かった
~ DVや虐待は身体的暴力だけじゃない
加納由絵さん

自分のせい? 誰のせい?

私の両親は共に交通遺児で、シングルマザー家庭で苦労して育ちました。戦争をまたいだこともあり、二人とも心にいろいろ傷を負っている状態だと気づかずに私の親になったようです。父は感情のコントロールができない人で、母はコンプレックスや劣等感が強く、私は母の自慢の娘であることを求められ続けました。母の決まり文句は「みっともない」と「お里が知れる」でした。その状態の中で、私は、何を判断するにも親の信念や価値観が基準で、自分が思ったことをストレートに出すことなど考えることもできませんでした。

父の機嫌がいつ悪くなるかわからないので、家族皆、父の様子を軸にして考えることが習慣になっていました。常に重たくて、いつも誰かに圧力をかけられているような状態でした。進路も親が決めていて、私の志望校の願書は目の前で父に破り捨てられました。親が望んだ通りに生きること以外に、意思決定や自己主張などできない状態は成人しても続きました。


私が楽になれたきっかけは、自分の中で何が起きていたのか、いろいろな情報を手に入れる機会を得られたことです。それまでは、すべて自分の責任なのだという気持ちがものすごく強くて、自分のことを客観的に見られる情報がありませんでした。何も知らない時は、ひたすら辛かったです。なぜ自分が辛くなったのかを考えられるようになり、少しずつ環境に視野を広げられるようになりました。そうすると自分が辛かったのは、家族の誰もケアを受けられないまま、なんとかしようと、それぞれが必死で生きていたことが原因だったと気づきました。親の子ども時代もいろいろなことがあったのだなとか、そういう親たちを誰も助けてくれなかった、親も支えてもらえてなかったのだなと。これは家庭の問題ではなく、社会構造上の問題なのではないかと意識するようになりました。そこから少しずつ楽になりました。


最初は、この辛さの根拠がわかりませんでした。親との楽しかった思い出もありましたし、親の努力も見ていたので、その辺の折り合いがつかなかったのです。家庭内のハラスメントに関する情報を知るうちに、私たち家族がたどってきた歴史や全体の文脈がわかってくると、これまでの自分を労うこともできるようになりました。ですので「正しい情報を得ることができると、楽になれますよ」とお伝えしたいです。


不思議なことに、親から唯一何も言われなかったのが結婚相手でした。夫は、暴力や虐待とは、縁遠い家庭で育った人で、最初はこの人は、何て話しが通じない人なのだと、かなりイライラしました(笑)。私の辛さの話が全然通じてない。そのうちに「そんなことわからない」という返事を、段々心地良く感じている自分に気づかされました。理解されなくても構わないのかもしれないと思うようになりました。それまでは「わかってもらえないと安心できない」と思っていましたが、相手に辛さについて理解されてもされなくても、それは安心とは無関係であること、安心できる人となら、安全と安心は無条件で得られることを実感させてもらいました。そのことに気付ける家庭と家族を持たせてくれた夫には、本当に感謝です。


安全のために自分をつくっていく

負けてはいけないという変な自意識がありました。人から、どう思われているだろうと、ずっと探って、その空気感の中で、そこに見合う自分を作ろうと必死でした。相手が自分をどう受け取っているだろうということに、とても神経質で。その場に適した自分を上手に作れてそこにいられると安心できました。「受け容れられたい」、「弾かれたくない」、「これ以上傷つきたくない」という思いが、とても強かったように思います。その頃は、自分の中にどういう欲求があるのかわかりませんでした。自分がいかにそこで安全にいるか、ということだけにフォーカスしていました。


20歳くらいの時に、たまたま見つけた本で、私の生きづらさには、名前があるのだと知りました。最初に知ったのは、「アダルトチルドレン」。「ああ、こういうことを辛いって言うのか」と気がついたのが、情報というものに触れた最初の経験です。

私と同じような経験をした人と会っても、初めの頃は、どうせ絶対無理だという思い込みがありました。「この人は違う、私の経験は、この人は経験してない、だから私の気持ちが分かる訳が無い」と。相手と自分との共通点と相違点を探していることが長かったです。でも自分の気持ちが落ち着いてきたら、みんな違うのが当たり前で、まったく同じな方が妙でしょ?とわかるようになりました。それまでには、かなりの時間がかかりました。今は、人との違いを感じても、不安や妙なみじめさや苛立ち、寂しさを感じることはなくなりました。


痛みを知っているからこそ上手く届けたい

父はもう他界していますが、昔と今で、母と私との関係に何か変化があるとしたら、母に対して、「この人もいろいろあったのだな」、「あなたはそういう人よね」と、そのままの母を、適度な距離感で受け流せるようになったことでしょうか。心理的な境界線を設けることができるようになったと感じています。今でも母とのやり取りの中で、イラっとすることはありますが、自分の受け取り方が変わると出来事の意味自体も自然と変わりますね。今は、そのことに対して、あいかわらず面倒だなと思うことはあっても、辛いと感じることはなくなりました。


外見からだけではわからない、家庭内のハラスメントや暴力的な圧力の話は、人によっては、侮辱や否定だと誤解して受け取られることもあり、どのようにお伝えしたらいいのかと苦慮することもあります。当事者が世の中に対して、理解して欲しいけれど、安っぽい同情はやめて欲しいと思うのは、そうした社会からの無理解に晒されてきた家庭内のハラスメント被害者の心の傷痕なのだと思います。世の中に適切に情報を拡げる以外に、こうした苦しみから当事者が抜け出せる方法は無いのかなと思っています。トラウマインフォームドケアという意識ですね。みなさん、DVや虐待は、身体的な暴力を受けて、警察や児童相談所が介入するような特別なことだと思っているように感じます。最近の世の中は、虐待という言葉を出した途端に、妙に身構えてしまう。ですからマスメディアにも報道のあり方について、もっと当事者やその家族の将来や社会全体に対して、適切なメッセージを届けて欲しいと切に願っています。


私のように、家庭内の無言の圧力や、張りつめた緊張感の中で育ってきた人たちはたくさんいます。でも、外からわかりにくい、見えづらいので、児童虐待防止法も、そのような、現在や過去の子どもたちを守ってはくれません。それによって今も抱えている様々な困難について、すべては家庭と本人の自己責任になってしまう。虐待は子どもを保護すれば終わりだと思っている方が多いように思います。実はそこから先が本当に大切なのだということに気がついていただけるといいなと思います。あとは、人生の中で立ち止まって、安心して自分について振り返ってみたり、安心して一休みできる時期を誰もが受け取れる社会の空気があればいいのにと思っています。