市民社会をつくるボランタリーフォーラムTOKYO 2020

感覚が人より深いHSP
~ 感受性が強すぎると言われて育った私
みきえさん

感受性が強すぎると言われて、どこにも居場所がなかった

私はHSPです。HSP(Highly Sensitive Person)は、人よりとても感じやすく、些細なことで動揺し、刺激量に圧倒され、疲れやすく、敏感な人のことです。世界ではHSPの人が人口の2、3割いると言われているんですが、日本はもっと多いだろうっていう捉え方もあるようです。


私は親から「感受性が強い」と言われて育ちました。それも否定的な感じで言われていたので、感受性が強すぎるのは良くないことなんだと思っていました。人より感じやすい上に、DVのある家庭だったので、暴力とか、両親の諍いとか、ものすごい緊張感の中で日々を過ごさざるを得ませんでした。小学校の時に恋愛依存、性依存、摂食障害が始まり、結果的に11個もの依存症になりました。「感じすぎる」ために生きづらくて、刺激で刺激を相殺して、なんとか感覚を麻痺させながら生き延びてきた感じです。心の痛みに耐えかねて、痛み止めを大量に飲み、48時間昏倒してしまったこともありました。結婚して子どもも授かりましたが、依存症が原因で離婚しました。今は家族みんな、離れて暮らしています。


子どものころ友達が全くできませんでした。同級生とは何かこう、話しが合わないんです。自分の思っていることを言っても、「深く考えすぎる」と言われてしまい、とても孤独でした。大人になってもそれは変わりませんでした。同僚と一緒に旅行に行った時に、「春に木々が綺麗になることを『春の紅葉』と言うんだよね。とても綺麗だね」って言ったら、「それずっと考えてきたネタでしょ」って言われちゃったんです。私はただ感じたままを言っただけなのに。自分のことをうまく説明できなかったし、言語化したとしても、何か浮いた感じになっちゃうんですよね。孤独を感じて、学校にも職場にも家庭にも居場所が無いので、依存症で寂しさを紛らせて、埋めていた感じです。


依存症を理解してくれるドクターに出会って、そこから良くなっていきました。体調に合わせて、自分の依存症のそれぞれの自助グループに通っています。自助グループのミーティングに通って仲間と出会うことによって、今はほとんどの依存症の症状はおさまっています。でも、感じやすさというのはやっぱり残るものですから、生き延びるために依存していたものが無くなった分、かえって辛いんですね。


2000年にHSPについて書かれた本が日本でも出版されて、それを読んだ方が横浜市で当事者ミーティングを始めたんです。初めてそのミーティングに行った時、私のこの状態は決して悪い事じゃないんだと、感覚が深いということは、むしろ長所なのだということに気づくことができて、すごく救われた思いでした。そのグループが閉会してしまうことになり、横浜ミーティングを担当するようになりました。



HSPの感覚

私は聴覚が特に敏感で、大きな駅の雑踏を歩くことができません。人がひしめきあって大勢いる音や雰囲気に圧倒されます。喫茶店で、人がワーワー喋ってるところもだめですね。私の対応策は、ヘッドフォンをつけて、ヒーリングミュージックを流すという方法です。音楽を聴いて、人混みの中をすり抜けて歩いて行きます。それでも横浜駅の、中央口とかはやっぱり人が多すぎるので、北口という、人知れずある改札を使ったりしてます。あと顔が怒ってなくても、怒りを伴った声がダメですね。声に怒りを感じると聞き流せなくてもう辛くなっちゃいます。


HSPの人の感覚の説明として言われるのが、例えば果物の大きさがS、M、Lの3種類あったとして、HSPの場合はそれを10から20の区切りで情報を得ているらしいです。人によっては、匂いとか、光の具合とか。照明が煌々と点いてるのがダメ、特に蛍光灯が苦手という人もいます。ものがざらざらしている感触とか、天然素材じゃないものは嫌だという人も多いみたいですね。


今はコロナの影響でミーティングは中止しているんですが、この自粛期間中、HSPの人は特に心が痛んで、辛いだろうなと思います。自殺なさる方も沢山いらっしゃるようですが、そうした状況に引きずられそうになると思います。私が今、HSPやそれ以外の多様な生きづらさを感じている人に伝えたいことは、自分を肯定することの大切さです。ついつい自分を責めがちじゃないですか。「頑張れ、負けるな、強くなれ」って。でも、「誰に褒めてもらえなくても、認めてもらえなくても、私はこれで充分OK。生きてるだけで百点満点!」って自分に言ってあげる。人に求めると余計傷ついてしまうので、自分で自分に言ってあげるというのがすごく大切なのかなと思います。



一人の時間と静かなくらしを大切に

私は、1日のうち7~8時間は一人になって、静かに過ごす時間が必要です。以前、仕事で宿泊の研修に行った時、最初は同僚とも頑張って仲良くしてつきあうんですけど、3日目ぐらいにはもう限界で、気をつかえなくなって、無神経になっちゃうんです。研修の後「お茶して帰る?」という誘いにも乗れない。そうすると「何か嫌なの?」って勘違いされてしまいます。他の同僚たちは、日を重ねるごとに親しくなっていくのですが、私は逆。人とずっと一緒だから疲れてるだけなんですけどね(笑)。

HSPのことを知ってからは、「こういう場は苦手なので途中で抜けます」とか、「ちょっと一人にさせてくれない?」、「私は疲れやすいから」ということを伝えられるようになりました。社会とどう接すればいいのかわかるようになっていきました。


静かな音楽とか、水のあるところとか、そういう環境が好きです。私が暮らしている団地はかなり古いんですが、7階にある私の部屋のベランダから、長い年月をかけて成長してきた樹木の先っぽが並んで見えるんですよ。それを背景にお月様を眺めたりとか。そんな時間で癒されますね。まあ、多少の騒音はあるけど、自分のペースで生活できるというのは大きいです。

私にとっての“家電あるある”なんですが、テレビは消してても無音じゃないんですよね。ジーっていう音が、いつの間にかするようになって。ブラウン管の時はしなかったと思うんですけど。液晶になってから画面がついてる時のブーンという音にも最初は慣れなくて、テレビを見てて疲れてしまう。他にも冷蔵庫が結構うるさいです。たまにやっちゃうんです。エアコンつけて、電子レンジを回して、ドライヤーかけたりすると当然ブレーカーが落ちるんですけど、そうするとほんとに静かなんですよね(笑)。



地に根を張り、枝を伸ばしていく

みきえという名前は、両親の話しでは、人の幹となり枝となるような人になってほしいという願いだったそうなんですけど、ずっと私にはその名前が重荷でした。今は、それが与えられた役割なのかなと思って。小さくても自分と人とをつなげる幹となり枝となっていきたいですね。ずっと、底なし沼に沈んでいくような、必死で溺れないように泳ぎながら生きていた気がするのですけど、今はもう、もがかなくても溺れない、死にはしないっていうのが分かってきた感じです。やっと地に足がつき、根を張れるようになってきたんだと思います。


当事者の集まりに行っていると、その根を張る力がすごく育てられる。自分一人ではどうしようもなかったけど、仲間がいることで力をもらえる。だから、セルフヘルプグループの存在に本当に感謝してます。