市民社会をつくるボランタリーフォーラムTOKYO 2020

LGBTと発達障害の
ダブルマイノリティ当事者として
澤村永太郎さん

なぜ生きづらいのかがわからなかった

大人になるまで発達障害に気づけず、自分がゲイであることも周りに言えない環境でした。ゲイコミュニティに行っても、発達障害が原因で空気が読めず、相手を不快にさせるので、どこにも自分の居場所がない息苦しさばかりでした。


子どもの頃から違和感はありました。小学校入学直後の新入生歓迎会で、ステージ上の上級生から「楽しかったですか?」と聞かれて、思いきり「つまんない」と叫びました。直前の授業での道徳で、「素直になりましょう」という話を言葉通りにしかとらえることが出来なかったせいです。発達障害で、目に見えない暗黙のルールや事柄に気がつけません。子どもの頃からなぜか周囲に怒られることが多く、学校でもサークルでも自分は異質な存在に感じていました。


セクシュアリティについても、幼い頃から男性が好きでした。しかし、同級生が「オカマ」と言われていじめられていたので、口が裂けても他人には言えませんでした。どうして自分は男性が好きで、なぜ誰も理解してくれない「不幸な」事ばかりなのかという二つの悩みが、背中に大きくのしかかっていました。その理由を知りたくても分からずじまい。遂に高校、大学時代には、「あいつと仲良くなるとオカマになるぞ」と同級生に言われて自分も陰口を叩かれてイジメられました。周囲の学生らに自分がゲイである事もバラされた(アウティング)経験もあります。



自分らしく居られる場所を探して

大学生になり、ようやく自由度が増して、初めてセクシュアルマイノリティが集まる新宿二丁目や、10代や20代のセクシュアルマイノリティが集まるサークルに参加し、世界が広がりました。ところが、就職活動が上手く行かず、大学を卒業した翌年にひきこもりになりました。今までの生きづらさとトラウマが組み合わさり、人間不信から全ての人間関係を断ちました。その後、発達障害があるとわかり障害と向き合いながら、徐々に立ち直っていきます。ですが、今までの交友関係を全て無くしていたので、障害と向き合いながらの再出発は非常に大変でした。そこから、遠回りしながらも自分の居場所を探すようになりました。最初はスポーツの趣味でつながるゲイのサークルや、ダブルマイノリティの会などにも参加しました。


しかし、自身の発達障害が分かっただけではコミュニケーションはうまく取れません。自分としては周りに気を遣って話したつもりでも、障害特性のせいで無自覚に相手を不愉快にさせてしまい、自分のいないところで陰口を叩かれて、結局昔と変わらず、居づらくなりました。路頭に迷うなかで、精神疾患のあるLGBTの団体にたどりつきました。そこで、過去のいじめられた経験や、うまくコミュニティになじめない話をしたら、運営者の方から、「今度、発達障害があるLGBTの集まりが始まるから、そこに参加してみてはどうですか」と紹介して頂きました。ドキドキしながら、その当事者会へ行ったら、同じように障害とセクシャリティに悩んでいる方々と “あるある”ネタを共有できたり、自分がゲイであることを包み隠さず発信できる場所でした。遂に自分を受け入れてくれる場所と仲間に巡り会えたのです。

3年間その当事者会に参加していましたが、惜しくもその会が無くなったので、自分で代わりに立ち上げようと思い、当事者会で仲良くなった人たちに声をかけて、今やっているFLATという会を立ち上げることになりました。



皆が生きやすくなるという視点とは

職場では、障害者枠で働いています。当事者会で得た経験から、障害者枠で働く人たち同士が悩みや愚痴を共有できる居場所が必要と思い、当事者同士での情報交換や自身の障害などを紹介する通信を発行することにしました。ある時から社内全体に公開することになり、全社的な障害の理解促進のための社内報になりました。発達障害のことだけでなくセクシュアルマイノリティについても公表したいと思い、先輩に相談しましたが、「LGBTとか世間ではよくわからない人も多い、ただ驚かれるだけ。会社では言わない方がいい」と言われ、傷つきました。仕方なく障害だけにフォーカスした社内報として発行を続けていました。それでも徐々に社内での障害への理解促進が進んだことで、社長賞も頂けました。さらに新卒で入社した一人が、会社で上手く行かないで挫折していたとき、社内報を見て「自分も同じだ」と思って検査したら、やはり発達障害があることがわかり、一緒に社内報を作るようにもなりました。さらに、もう一人当事者が現れたりして、ひとりで始めた社内報がいつの間にかに制作仲間が増える貴重な機会にも恵まれました。


マイノリティの人々への対応は、まわりまわって全ての人が生きやすくなります。例えば、セクシャルマイノリティの方々が傷つく質問に「結婚しないの?」があります。これはセクシュアルマイノリティだけではなく、異性愛者でも経済的に厳しく一人で生活するので手いっぱいだとか、結婚したくとも出来ない様々な事情もあると思います。また、仕事などで「10時までに連絡して」と指示された時、発達障害がある人の中には、目の前にいる相手に伝えることが「連絡」で、電話やメールという手段を思いつかない事もあります。「連絡して」と伝えるとき、どのような手段で、というのが抜けがちになりますが、「自分は忙しいから電話には出られないけどメールならできるよ」などの伝え方であれば、発達障害の人だけでなく誰にとってもかなりスムーズなやりとりができると思うのです。主語と述語を明確にするなど、具体的な話し方というのは、障害の有無にかかわらず必要であることを、職場の経験や当事者会での話などを通して感じてきました。


その他にもどんなマイノリティにも、マイノリティだという壁をつくらないでほしいと思います。結局、所属や立場など違えど突き詰めれば、接し方は同じになると思うのですが、自分と異なる人間とのつき合いを敬遠したり、コミュニケーションを取らないからこそ、齟齬が生じてしまうと思うのです。それはマイノリティ側にとっても同じで、マイノリティは自分達だけだと思ってしまうと、他のマイノリティに対して壁をつくってしまうことにもなりがちです。社会での自分たちの状況を改善したいのであれば、他のマイノリティについても理解する気持ちを持ち、共に生きやすくする為に何が必要かを考えるほうがより良くなると思っています。FLATを立ち上げてから、LGBTsのsにあたる方々がたくさん参加していることに気がつきました。ノンバイナリー(男女二元制にとらわれない)やアセクシュアル(性的指向がない)とか、その中でもまたスタンスが一人ひとり違っているとか、マジョリティから相手にされず生きづらさの問題が見過ごされてしまった、認知の谷間に埋もれている人たちの苦労や生きづらさを知ることができたのも大きいです。


もし今自分が居る場所が、居心地が悪かったり、悩んでいるようであれば、無理にずっと居続ける必要はないと思います。もし日常や仕事でつまづいたときには、探してみると案外、ダブルマイノリティを対象にした会もあったりするので、そのような場所へ行ってみて他の当事者の話を聞いてみるのも一つなのかなと思います。