市民社会をつくるボランタリーフォーラムTOKYO 2020

J-CODA(Japan Children of Deaf Adults)

聴覚障害者を親に持つ聞こえる子ども(以下、コーダ)が、成長する中でどのような困難や悩みを抱えているのか、その実態は当事者ではない人には分かりにくい現状があります。コーダの当事者として活動を続けている村下佳秀さんと中津真美さんにお話をうかがいました。


はじまりの物語 ~コーダのグループが誕生~

元々コーダという言葉はアメリカから入ってきたのですが、1994年に世界ろう者会議が開催された際に、聴覚障害当事者の子ども(成人)も一緒に集まったことが、コーダという言葉や捉え方が始まったきっかけと言われています。日本でもその後コーダの集まりができ、当事者たちによる活動が始まりましたが、コアメンバーへの負担などの理由から一時期活動を休止し、2000年後半ごろに再開されました。

活動の初期にはまだコーダを表す手話もなかったぐらいでしたが、その後少しずつ市民権を得て来ました。

最近は新聞に取り上げられることも増え、とてもうれしく思っています。


“親の代わりに”が子どもの負担に

コーダは、親が全く聞こえないろうあ者なのか、多少は聞こえる難聴者なのか、両親ともそうなのか、親の一方がそうなのか、手話を使うのか等で細かい違いはありますが、聞こえない親と聞こえる社会の間で様々な軋轢を経験せざるを得ない場合が少なくありません。

まず家庭での生活ですが、聞こえる親子の家庭とはあらゆる点で様相が異なります。一例ですが、親は声で子どもを呼べますが、子どもは親が自分を見ていなければ、声で呼んでも伝わりません。距離が離れている時に子が何か物を投げて呼ぶなんていう場合もあります。当然そういうことをすると怒られますが(笑)。

親に代わって電話をかけたり、受けたりすることも頻繁にあります。ある人の例ですが、小学生の頃、駐車場の契約更新について親にかかってきた電話にでなければなりませんでした。限られた語彙しかない小さな子どもが「ちゅうしゃじょう」を手話で通訳して親に伝えたら、どうなったと思いますか。子どもは先方の話を音で聞いているので「駐車」が「注射」となり、「注射する場所」になってしまいました。親は「注射」するところは病院なので、医者の話かと思ってしまう。その上で「けーやく」とか「こーしん」とか言われても、もはや話は通じません。結局契約は更新されず車を停めることはできなくなり、その子は親に叱られました。このようなことはコーダにとっては珍しくない経験ですが、積み重なると、子どもは電話に出るのがすっかり嫌になってしまい、かかってくると即座に切ってしまうようになりました。電話の度に嫌な思いをしたくありませんから。

親と一緒にTVを見ていると、ドラマやコントなど、音声でしかわからない場面を子どもが説明させられることもよくあります。子どもはちっとも面白くなくなってしまいます。

家庭の外でも、長年学校や役所、病院など、様々な場面で子どもにとっては難しい内容を手話通訳しなくてはならず、中には手話を極端に嫌いになってしまうコーダもいます。

こうしたことはほんの一例ですが、コーダは、小さい頃から自分の家庭は他の子の家とは違うのだと強く意識せざるを得ないのです。コーダの家庭は親子関係が悪化する負のスパイラルが起きやすいかもしれません。


誰にも言えない悩みを抱えて

親が聞こえない場合、子どもはいわゆる「ろう文化」というものに触れながら日々生活しています。例えば、手話で相手や自分を指さしすることはごく普通のことですが、聞こえる人同士のマナーでは非常に失礼にあたる場合があります。親子のコミュニケーションでそれに慣れた子どもが聞こえる人にやってしまうと怒られてしまうこともあります。親が文章を書くのが難しい場合もあります。聞こえない人はしゃべる言葉を「日本語」と呼ぶことが多いのですが、手話から「日本語」に変換して書くと、手話には助詞がなく、動詞や目的語の位置が異なる場合もあり、人によっては文章がおかしくなってしまうこともあります。学校に通っているときは、学校の連絡帳を子どもが自分で書くか、親から書いたものを添削してくれと頼まれます。文章のことで親への侮蔑の言葉を耳にすることすらあります。わけが分からず「うちの親はどうして書けないのだろう」と独り子どもが悩むことも珍しくありません。

他にもコーダの生活に特有のいわゆる“あるある”がいくつもあります。周囲の人からかけられる言葉もそうです。「通訳してあげて。親は聞こえないんだから」「あんたがしっかりしなさい」「えらいね、頑張ってね」「かわいそうね。苦労してるんでしょ」などなど。こうした言葉には、障害者への世間の偏った認識が如実に出ていると感じます。

子どもはこのような経験から「障害者の子どもだからしっかりしなきゃ」「嫌われないようにしなきゃ」と絶えず意識するようになります。親との関係で周囲から「哀れみ」や「侮蔑」や「ねぎらい」の言葉をかけられても、親のことを想い、気遣って、子どもはそうした言葉を親には伝えられないものです。多くの場合は、子どもが独りで受け止めるしかないのです。同じ立場の子に出会うのはまれで、特に思春期以降は自分は何なのかとアイデンティティを持てずにひたすら悩むことになります。

親に関する悩みは、親へは無論、友人にも、教師にも、誰にも相談できません。親について、自分の存在について、悩み続けているコーダがいることを知ってほしいと思います。特に学校関係者、保健所の関係者、子育て支援や障害福祉に関わる人などには知ってほしいと思います。子どもは親のケアラーではありません。子どものためにも、親が障害福祉サービスや子育て支援のサービスをより利用しやすくなるよう理解が広がることがとても大事だと思います。


私たちにつなげてください

私たちの活動は、コーダによるコーダのための活動です。同じ経験をしてきた仲間同士が、ざっくばらんに話し合える場です。普通の手話クラスでは「親が聞こえないのに、手話できないの?」などと言われてしまうこともありますが、ここでは安心して手話を学べます。様々なテーマで勉強会やセミナーも行っています。

私たちの活動を通して、より多くの人にコーダの存在とその心理を知ってほしいです。全国のコーダが「自分は一人ではない」「いざとなったらここに相談しよう」と思える場所になりたいと願っています。「自分はコーダなのだ」というアイデンティティを持ち、コーダが経験したことはつらいことでも楽しいことでもひとこと言えばすぐに通じるし、多様なコーダを受け入れることができるという強みを感じることができれば、生きづらくてもなんとか生きていけるものです。

当事者の支えを必要とする若いコーダがみなさんの周りにも必ずいるはずです。その子たちに私たちの存在を伝えて下さい。私たちにつなげて下さい。その子の話を聞いて受けとめますから。


J-CODA(Japan Chidren of Deaf Aduts)

https://jcoda.jimdofree.com/

https://www.facebook.com/japancoda/

聴覚障害の親を持つ聞こえる子ども(コーダ)による当事者の会。同じ経験をしてきたコーダ同士が体験や想いを語り合う場づくりや、様々なテーマで勉強会やセミナーを行なっている。


キーワードコーダ、聴覚障害の親をもつ健聴の子ども

メンバー 聴覚障害の親をもつ健聴の子ども

活動内容 情報交換、勉強会、セミナー、屋外イベント 等

活動エリア 東京他全国

相談 あり

集まれる場 あり

連絡先 j_coda_2011@yahoo.co.jp


*『ネットワーク』359号より(2019年4月発行)