市民社会をつくるボランタリーフォーラムTOKYO 2020

言(こと)の葉(は)の会

家では普通に話せても、学校など、ある特定の状況や場面では、一貫して話すことができなくなる場面緘黙の当事者グループである言の葉の会副代表の青木路人さんにお話をうかがいました。


はじまりの物語 ~場面緘黙とは何か?~

場面緘黙は、確立された会話能力があるにも関わらず、ある特定の状況においては一貫して話すことが困難になる症状です。症状は個人差があり、全く言葉を発せられない人もいれば、非常に小さい声でなら話すことができる人もいます。

現在では不安症の1つと考えられており、話すことだけでなく身体の動作が困難になる「緘動(かんどう)」を持つ場合もあります。また、適切な介入がなければ、症状が長期化し、社会適応に大きな問題をきたす場合があります。医学的には、家庭など安心できる場では話せるのに、話を求められる学校など特定の場面で1ヶ月以上継続して全く話せなくなる症状のことを言います。1ヶ月以上継続すると場面緘黙と診断されますが、それが20年以上続く人もいます。

場面緘黙の原因などのメカニズムはよくわかっておらず、治療法も確立していません。医師や教員の間でも、場面緘黙という言葉は知っていても、実際の場面緘黙児とはどのようなものなのか、また、どのような対応をすればいいのかは手探り状態なのではないかと考えられます。

当事者や経験者は、「自分は言葉を話せるのに、なぜか全く話せない状態が続いた。こんな人間は自分だけなのではないか」と、一人悩みを抱えて孤立しがちです。

「本当は話せるのに話さないなんてずるい」、「猫をかぶってるだけ」、「ただの人見知り」、「気にしすぎ」などと周りから責められたり、勘違いをされることも多いのです。

苦しんでいたのは自分一人ではなかった!

私の場合は、幼稚園から大学4年生になるまで、学校でしゃべることができませんでした。家ではむしろおしゃべりなぐらいでしたが、学校では授業中の受け答えはできても、なぜか休み時間になるとクラスメイトとのフリーな会話が全くできないのです。自分でもわけが分からず、こんな風になるのは自分一人だけだと思っていました。高校生ぐらいからは本気で何とかしないとまずいと焦っていましたが、どうすることもできないままでした。

ところが、理系の大学に進学し、4年生になった時、自分の周りの環境が変わったことをきっかけに症状が少しずつ改善していったのです。研究室には決められた自分の席があり、同期の学生も10名以下と少人数でした。研究テーマが設定されているおかげで、フリーにみえる会話にも、いろいろな前提や枠組みが存在していたわけです。話せない自分を責める人もいませんでした。振り返ってみるとそうしたことがしゃべる自信につながっていったのだと思います。

2007年のある日「学校でしゃべれない」をキーワードにネットで検索したところ、場面緘黙の情報があるページにたどり着き、「自分はこれだ!名前がついているものだったのか」と驚きました。27歳の時でした。初めて自分の症状が緘黙に当てはまることを知りました。


「わがままはやめろ」!?

「わがままはやめろよ」。高校でクラスメイトに言われたこの一言が今でも忘れられません。文化祭の準備で担当の係を決める際に、どの係をやりたいか聞かれた私は、当然答えることができませんでした。そこで言われたのがこの言葉です。授業中は先生の問いに答えることができていた私は、しゃべれるのに、わがままで答えないのだと思われたのでした。「わがままだから」、「頑固だから」しゃべらないのだろうという誤解や偏見が多いのです。

何故緘黙になったのか、その理由は自分でもわかりません。医学的にも原因は解明されておらず、症状は人によって千差万別です。「喉に言葉がつかえてでにくい」と感じている人もいれば、非常に小さな声でならしゃべれる人もいます。私の場合は「頭で考えていることが言葉にならない。思考を言語化できない」という感覚です。また私とは逆に、家ではしゃべれないのに学校ではしゃべれる人もいます。

緘黙の症状に苦しんでいる人は、みなさんが想像されるより沢山いるのではないでしょうか。200人から500人に1人と言われていますが、今にして思えば、小学校にも中学校にも私と同じように話せない子がいました。個人的な感覚ではもっと多いのではないかと思っています。


環境の変化とスモールステップで症状が改善

大学4年以降は、博士課程まで含めて、およそ5年間、不安や負荷の少ない環境で過ごすことができました。そうした意味では、ほぼ家にいるような感覚だったと思います。私は徐々に話せるようになり、人前で研究発表などもできるようになっていきました。結果的にちょっとずつちょっとずつ、できる範囲を広げていく、いわゆる“スモールステップ”を踏んでいけたのが良かったのでしょう。このように本人や、親、教員などにより、できることとできないことを適切に見定めて、そのうちのできることをちょっとずつ、広げていくことが症状の改善につながると言えます。不安感のない状態から、少しだけ不安のある状態をつくり、それに慣れていき、ステップアップしていくイメージです。

引っ越しや転校などで身の回りの環境が変わり、突然緘黙になる人もいますが、逆に緘黙が治る人もいます。それまでの知り合いがいなくなることで気持ちが楽になるからです。「あいつはしゃべらない」と思われていると、改めてしゃべりだすには、すごくエネルギーがいります。しゃべりだすエネルギーが自分の中にたまっていると、環境が変わったのをきっかけに、再びしゃべれる様になるのかもしれません。


緘黙の認知度が上がってほしい

言の葉の会は、ライングループをきっかけに2018年に誕生しました。それ以前、当事者以外にも親や支援者が入ったグループはありましたが、当事者だけの緘黙の会ができたのは初めてのことです。

緘黙の人にとってツイッター等SNSはありがたいツールであり、この10年で、緘黙に関する情報発信は飛躍的に増え、新たな当事者の参加の入り口にもなっています。

当事者の居場所づくりとして、チャットなどにより悩みや経験を共有するネット上の交流の他、関東、中部、関西のそれぞれの地域で、2カ月に1回、実際に顔を合わせる交流会を開催しています。当事者だからこそできる、“安心できる”居場所づくりを心がけています。

最近は入会を希望する緘黙児童の保護者からの問い合わせもあります。ゆくゆくは、こうした情報がなく不安を抱えた保護者にもアプローチをしていければと思います。

近日中に開催予定のセミナーは、あっという間に定員に達しました。関心を持っている人はたくさんいると思いますが、まだまだ知らない人、誤解している人が多い中で、緘黙の認知度が上がり、話そうとしても話せなかった当事者の苦しみや辛さを知ってほしいと願っています。


言の葉の会

https://www.kotonoha-sm.org

場面緘黙の当事者・経験者による当事者グループ。緘黙に関する社会の認知の向上、当事者同士のつながりや、安心できる居場所づくりなどを目的に、2018年設立。ウェブを通じた居場所づくりや、交流会、セミナーなどを実施している。団体名には、「しゃべれないからこそ、言葉を大切にしたい」という想いが込められている。


キーワード場面緘黙/「話そうとしても話せない」/Selective Mutism

メンバー 場面緘黙の症状のある当事者、経験者

活動内容 交流会、ウェブ上での通話やチャットによる悩みや経験を語れる場づくり、セミナーの開催等

活動エリア 関東、中部、関西ブロック。

相談 あり

集まれる場 あり

連絡先 office@kotonoha-sm.org


*『ネットワーク』360号より(2019年6月発行)